みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの海やん介護日誌 旅の終わり

2023-05-05 13:20:00 | 日記


私はその後の2日間を、ドライアイスと布団に包まれて寝ている梅やんの隣で居りました。
口腔ケアで口の中を清潔に保ち誤嚥性肺炎にならないように介護してきたつもりですが、急激な多量の嘔吐で背中まで嘔吐物を吐いてしまうことに対応できませんでした。胃ろう患者は胃腸炎からあのような胃食道逆流を起こすのだろうか。いや、梅やんの重度の慢性心不全が呼吸を止めたのだろう、と思うほうが良いのでなかろうかとぼんやり考えていました。
〈ケアマネジャーさんへのメール〉
診断書は肺炎でした。母は数日前から下痢や嘔吐、冷や汗、口から白色の痰が多く有るも発熱は無し、リボフラキシン抗生剤と去痰剤、ランソプラゾール(逆流性食道炎)錠を2日間投与しほぼ入院に近い在宅療法したつもりでしたが、血圧が低下し始めたので病院へ行きました。本人の力が尽きました。母は安らかな顔をしています。残念、まだ1年くらい介護したかったかな。ありがとうございました。
〈ハヤカワさんより〉
本当に良い介護をされ私たちヘルパーも良い勉強ができました。ありがとうございました。



そして5月4日、那賀町の大日会館で葬儀が黒瀧寺御導師様によりとりおこなわれました。

平成7年(1995年)5月木沢にて向かって右からシゲ、リキさん、梅やん、タカ姉さん

長男シゲを早く病気で亡くしていた父リキさんは、今から20年前に、自分が亡くなる直前に病室に子どもたちを呼び寄せ、「みなでお母さんを頼むぞ」と遺言を残しました。気が強く明るい性格だった梅やんは、認知症になっても脳卒中になってからも、父リキさんと同じ歳になるまでしっかりと私の介護を受け入れて頑張ってくれました。そしてリキさんの年に追いつくと間もなく、頑張って生きるのをやめて元気に旅立って行きました。シゲよ、私たちは約束を果たせたよね。若くして死んでしまった貴方と私はあまり話したことがなかったけれど、子どもたちは立派な大人になり、孫たちもしっかり成長していきますよ。
私と梅やんとで一緒に歩いた13年の長い旅は終わりました。

遺影は89歳の時(2017年)、みのだ苑デイサービスカメラマンが撮影した梅やん





那賀町和食にある大日会館のマイクロバスが阿南葬祭場から帰る途中、道の駅で待機するひと時がありました。シゲのニ女と私は外に出て歩きながら話しました。おばあちゃんからは「シゲフミは親には『ほうじゃのう、ほうじゃのう』というてくれ優しい子だったが、お前は怒ってばかりで気が短い」とよく私に言われたよ。でもな、母を介護するうちに私は兄貴になってしもうた気持ちがしてきたよ。

黒瀧寺のある黒瀧山

今日は5月5日こどもの日です。
私の2人の子どもたちは、高知発の南風号に阿波池田駅から乗って岡山まで行き、JR新幹線に乗り換えてそれぞれ関東の地へと帰って行きました。息子からラインが来ました。
・お父さんへ、ほんまにお疲れ様でした。おばあちゃんはお父さんに見てもらって幸せだったと思うよ。少し休んでください。
・兄貴が先に亡くなって、父との約束だったからね。母は父の歳まで生きたら、安らかに眠ってしまったよ。またお母さんと一緒に仲良くしていくよ。子どもたちもお母さんのことをよろしくな。
・うん。お母さんは妹と3人で見ていこう。約束だったこともそうだけど、最後までばあちゃんを見てあげたことは尊敬するよ。



令和5年4月23日自宅にて笑う梅やん


令和5年4月3日自宅で手を振る梅やん


令和5年4月2日自宅で笑う梅やん


令和5年3月28日自宅で酸素をして笑う梅やん


令和5年3月22日自宅でご機嫌な梅やん


令和5年3月12日自宅で話す梅やん

令和5年1月22日自宅庭で笑う梅やん

梅やんの病気は、アルツハイマー型認知症と脳出血と慢性心不全に心房細動の不整脈があり、胃ろう経管栄養と気管支の吸引を必要とする者で重度障害者であった。認知症で13年、最期までリバスチグミンテープ13、5mgを使用した。

5月1日当日用のリバスチグミンテープ

上記の写真のように梅やんの表情はリバスチグミンを使用している時は豊かに保たれ、リバスチグミンをはっていない時は傾眠傾向が多かった。

医学書院『認知症疾患診療ガイドライン』
梅やんは那賀町国民健康保険木沢診療所を主治医と位置付け、認知症の実家療法を続けて平成23年(2011年)6月の要介護1認定から令和2年(2020年)8月要介護3まで在宅療法を続けた。脳出血前の認知症長谷川式検査点数は8点だった。令和3年(2021年)6月26日脳出血後の入院中に要介護4、在宅で胃ろう管理中の1年後令和4年(2022年)8月に要介護5となった。梅やんは重度障害者であったが、『認知症疾患ガイドライン』には病期別治療薬剤選択のアルゴリズムというのがあり、ドネペジルを重度の認知症患者に使用するとある(227ページ)ので、梅やんは代わりにリバスチグミンを使用した。上記の写真のようにリバスチグミンテープを貼っている時は神経伝達が上手くいき意思疎通が保たれた。貼っていない時は傾眠傾向が多かった。ゆえに梅やんの場合、リバスチグミンテープは最期まで認知機能維持に有効であったといえる。

令和5年4月、木沢デイサービスで風船突きをして遊ぶ梅やん
梅やんは那賀町社協デイサービスに30年通い、みのだ苑デイサービスひまわりに7年間毎日中預かりで利用し、健生西部デイサービスなでしこの宿泊サービス、健生石井老健施設や秋田病院老健ハーモニーのショートステイを利用、ふるさと那賀特養ショートステイとヒワサ荘特養ホームショートステイを利用させていただいた。梅やんの場合、こうした施設での毎日のデイサービスが認知機能維持に有効であった。みのだ苑デイサービスと140キロ離れた木沢デイサービスを併用させていただき、移動の旅をしながら実家に帰ってリハビリをすることを7年間貫いた。ふるさと那賀特養とヒワサ荘特養は55キロ離れてあり、それぞれ木沢との間の移動の旅をした。私は、住み慣れた実家を精神の寄るべとしてアイデンティティを維持し、見当識障害の進行から梅やんを守った。ケアマネジャーと共に目標を持ち計画を実行した。


喀痰吸引器と胃ろうチューブ栄養セット
梅やんは右視床出血、左片麻痺、嚥下障害、構語障害、右下肢の運動麻痺、経口摂取困難、胃ろう造設術後、慢性心不全、心房細動、慢性呼吸不全であった。全介助、在宅療法で胃ろう栄養と痰吸引を行ない、1年9ヶ月の延命期間であった。家族介助者である二男は介護福祉士であり、在宅での看取りターミナルケアを希望して、こだま訪問介護事業所からヘルパーを派遣してもらった。途中から呼吸機能が悪化し在宅酸素療法をショートステイ中と家で採用、移動は携帯酸素ボンベを使用した。移動中は吸引器を携帯で使用した。胃ろう造設術後延命期間は当初の医師の短期生存期間予想を遥かに越えて1年9ヶ月に及んだ。最後は下痢や嘔吐がおこり、冷や汗、チェーンストークス呼吸、肺炎、血圧低下、心拍数低下、酸素SPO2低下しつつ、自家用車で病院に行って1時間足らずで呼吸停止した。ヘルパー派遣により、便失禁管理と尿バルーンカテーテル管理で尿路感染を予防し、褥瘡の発生を予防できた。患者梅やんは最後まで笑顔が見られ、生活の質QOLが維持された。地理的には山間部奥地にあり不利な条件の下で1年9ヶ月の延命期間を胃ろう造設により生き得たことは梅やんが作り出した記録である。また、ヒワサ荘特養ホーム施設チームの介護技術は自立支援において高く評価されると思われる。今後このような実家療法やショートステイ利用の在宅介護の増えることが望まれる。なお、徳島県南部では在宅患者の経皮内視鏡的胃ろう造設術は、県立海部病院外来で行われているが、梅やんの場合の胃ろうの交換術の際にバンパー埋設症候群を発症し入院した。また最終のバンパー型交換の際は下痢と嘔吐が重なり誤嚥したことから短期入院での交換が望ましく思われた。

白い花の咲く頃
 
🎶白い月が泣いてた ふるさとの遠いあの空 さよならと言ったら 涙のひとみでジーと 見つめてた 悲しかったあの時の あの白い月だよ♬

涙の瞳



最後の介護日誌となりました。読者の皆さまには4年半におよぶ長い間、ご声援ありがとうございました。

2023年令和5年5月5日 こどもの日に。                                木沢にて
                            完

                 『みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉』