みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 梅やん、八重地峠を帰る

2020-05-24 05:04:00 | 日記
私は、昨日の土曜日、徳島市の法人の理事会に出てからセツ姉宅で梅やんと早い夕食をご馳走になり、すぐに木沢へ向かいました。


徳島市内は橋が多い、川の中の街です。沖洲は海が直ぐそこに有ります。津波が来ると危ない所です。


新浜のエミちゃんがこの日の朝、他のことで電話をくれていて、勝浦から帰った方が早いのではないかと言うので勝浦川をさかのぼって帰ることにしました。途中の勝浦のスーパーで買い物をして時刻は17時42分でした。


上勝町は半年ぶりに通りました。対向車には会いませんでした。


八重地峠でトイレ休憩。木沢の蔭盤の山が見えます。


高野地区。人影は見えません。ここは昔むかし、弘法大師が四国の修行の途中で立ち寄った所です。それで高野と言う。後に御大師さんは和歌山の山中に高野山のお寺を築きました。


リキさんが生まれ育った蔭盤地区が見えます。


高野から黒滝寺を見上げながら名古ノ瀬へ下りて、午後6寺54分に実家に到着しました。


車から降りる梅やんです。
昨夜も例のごとく、「飯がない、炊かないかん」を連発して、夜用の薬は「飲まん!」と言い、一悶着してから強制的に寝させました。おまけに10時には小便をまかせておりました。私は土曜日はフル回転をして疲れて休みたいのに!いつまで続く事やら、此の実家療法は。私は軒下に出て暗くなるまで外で一人居ります。段々と梅やんの精神のコントロールが出来なくなってきています。
今朝は早朝から「ああハラガイタイ」と寝床で独り言を言っております。
それでは今日はこの辺で。











みなみの梅やん介護日誌 梅やんをセツ姉宅へ預ける

2020-05-22 20:13:00 | 日記
今日は小畠まわりで神山へ。


にしみね山がみえます。


勝浦方面も見えます。


神山で一休み。


この辺りは木沢から下りて来たら初めての集落です。


上分までセツ姉に迎えに来てもらい、乗り換えました。1時間で徳島市のセツ姉宅に着きます。梅やんはセツの顔を見ると、けでんして、「どうしてセツがおるんか」と言いました。
それでは今日はこの辺で。






みなみの梅やん介護日誌 噛んで吐き出して冷蔵庫に入れる?アホ

2020-05-22 06:23:00 | 日記


10ヶ月くらい前から、梅やんは食べたものを噛んだ後に、飲み込まず元のお皿に吐き出すことをするようになりました。ご飯が硬かたいのか、歯が痛いのかとも思いましたが、そうではなさそうです。そして、冷蔵庫にしまってあります。ですからよく見ないといけません。ウッカリすると梅やんの食い掛けを食べてしまいそうです。飲み込まないから栄養不足になるでしょう。朝、冷蔵庫を開けると梅やんの食いかけが有りました。


昨日の朝は味噌部屋でネズミがネズミ籠にかかっておりました。これで連続して3匹目です。エサは美味しいナルト金時のさつま芋です。捕らえたネズミは日向に2日干して置くと死にます。その後は籠から出して放置しておくとタカが舞い降りて来て食べてくれます。昔の梅やんは自分で仕掛けていましたが、認知症になってからはこういう事も出来ません。


昼間、梅やんがデイサービスに行っている間に私は家の裏の杉の大木を4本切り倒しました。30メートルの高背いで年輪が78年、10トンジャッキを木に埋め込んで少しずつ伐倒方向に倒して行く作業です。大木になり過ぎると集中豪雨の際に災害の原因になりますから除去します。


日が暮れて夕食の準備にかかります。この2日間は買い物に行っていないので美味しい物は有りません。
梅やんはダンゴラーメンをして食べました。

梅やんは、「昔の貧乏な頃は団子汁をして食べたもんじゃ」と言って、セツ姉から頂いたアンコ入り草団子と出前一丁ラーメンを鍋に入れて作りました。


私は卵焼きを作りました。昔、学校へ持っていく弁当に小麦粉入りの玉子焼きを母が作ってくれたものでした。学校では皆がそれぞれの弁当の中身を本などで隠して食べていました。
昨夜は梅やんは3度くらいトイレに行きました。夜用の紙パンツを履き替えさせたのが3時ごろでした。
今日は金曜日です。予定は私は井川町の自宅へ、梅やんは徳島市のセツ姉宅に1泊する予定です。
それでは今日はこの辺で。









みなみの梅やん介護日誌 平穏な梅やんの一日

2020-05-21 04:47:00 | 日記
梅やんは、夜寝る前に炊飯器からご飯を容器に移して、それを冷蔵庫に入れる癖があります。その為に朝のご飯がカラカラに乾燥して固くなります。空になった炊飯器でコメを炊こうとして探し回ります。コメは私が隠してあります。


ですから朝ごはんは大抵が硬いご飯になります。梅やんは「かたい、かたい」と言いながら食べます。当たり前じゃ、お前がしたことじゃないか、と言ってやります。梅やんは、「ほんなら、もうせんわ」と言いますが、また繰り返します。


昨日の朝、梅やんは元気に袋を手に下げてデイサービスの車が来る前に歩いて出かけました。デイサービスでは2日に一度の一般浴の入浴をします。袋には下着の着替えを一式持たせております。この日は入浴日でした。


私が4時過ぎに家の裏山での作業を終えて帰宅して休んでいると、デイサービスの送りの車で梅やんが帰ってきました。白いウサギさんが車の陰で陽を避けながら、梅やんを迎えています。梅やんは、「このネコをかいよんか」と聞いてきます。梅やんにはウサギではなくネコのようです。


夕食前には台所の三角ゴミ入れの残飯をチャボに与えます。梅やんの食いかけの残飯が毎日出ます。ニワトリたちが固い飯の残飯を楽しみにしております。これも梅やんの仕事です。




昨夜の梅やんは自分で風呂にお湯を入れました。スイッチをONにして赤い蛇口をひねればお湯が出てくるのですが、昨夜はこの動作が出来たようです。出来ないことが多いのですが。とはいえ、梅やんは昼にデイサービスで風呂に入った事は忘れていて本日2度目の風呂です。入浴している間に尿7回分の紙パンツを着替え用に出して置き、昼間の紙パンツはゴミ袋に捨てて置きます。
こうして私は先に寝ます。これで一日中、梅やんと喧嘩することなく平穏に終わりました。
私は昼間9時半から4時まで裏山のスギを75年もの3本と30年もの3本を切りました。密集して生えていて中には立ち枯れています。このままでは集中豪雨で崩壊する事もあります。役場が事前調査をして「土砂災害危険区域」に指定しているため、私は横筋状に太い木を間伐しております。昼間の肉体労働は疲れますが、介護ストレス解消にはなります。
それでは今日はこの辺で。






みなみの梅やん介護日誌 リハビリ用の歩道ロープを設置

2020-05-20 00:17:00 | 日記


昨日はいつもの様に朝食を食べました。


デイサービスへ行きました。
私は午前中、家の歩道に50メートルのロープと10本の支柱を取り付けて、リハビリ用の手摺りを作りました。歩行訓練する際に杖を忘れても安全に伝い歩きできるようにしました。支柱はセメント作業です。


梅やんがデイサービスに行っている間に、出来上がりました。



梅やんはデイサービスあと、4時から木沢診療所へ入ります。テリボンの骨粗しょう症の注射を週1回しております。


十二社にはスギの古木があります。フミ叔母宅へ先日から忘れていた梅やんの杖を取りに行きました。


アメゴをもらって来て焼きました。


樫戸丸は夕焼けになっています。日が暮れていきます。


夜の薬をもて遊ぶ梅やんです。


一口寝てから梅やんを起こして、夜用の紙パンツ尿7回分には着替えさせます。


これから再度眠ります。夜中の12時を回っております。梅やんの1日が終わりました。
それではまた明日。おやすみなさい。