みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 アルミニュームとアルツハイマー病

2020-05-19 03:12:00 | 日記
昨日は午後から雨になりました。


私は実家を梅やんより早く出て、三好市井川町へ15〜6年前から続けている水道の水源地の調査活動に行ってきました。


かつて、当地に下水道汚泥などを原料とする汚泥肥料が大量に運び込まれて捨てられた事件が有り、私はその影響を調査する活動を継続して行っています。標高900メートルの所です。透明な水の部分からヒ素やアルミニュームが微量に検出されます。アルミニュームが脳内に蓄積するとアルツハイマー病になるとの説もあります。ただし、梅やんの認知症とは関係がありません。


午後4時に現地調査を終えて、神山の峠を経由して、夜の梅やんを見守るために木沢へ向かいました。


午後7時20分に実家に帰って見ると、昼間のデイサービスから帰った梅やんは、自分で夕食を食べておりました。
冷蔵庫からチクワと豆腐を出して食べた様です。ヤカンにお茶の葉と焼肉のタレを入れて沸かした辛くて黒い色のお茶を飲んでいました。玄関のカギも掛けられていたけど、私が遅くなったのだから仕方がないか、お茶の事も。

食器洗いをしている梅やんが台所に立っています。私は先に9時半に寝ました。夜中には梅やんをトイレ誘導して、また朝まで眠りましょう。夜が明けると火曜日です。木沢診療所の受診日です。
それでは今日はこの辺で。








みなみの梅やん介護日誌 また木沢へ戻りました。

2020-05-17 21:21:00 | 日記
梅やんは今日の午後3時に木沢へ帰りました。


夕方、庭を散歩して居ります。


木沢は曇っています。


夜はセツ姉からもらってきたカレーライスを食べました。
明日からはデイサービスに通います。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 今日は移動日

2020-05-15 08:54:00 | 日記


本日は金曜日、梅やんは沖洲へ、私は三好市井川町に参ります。


ヤギさんが見送ってくれます。


梅やんは玄関で靴を履いております。途中、神山の川又までセツ姉が迎えに来てくれます。


今朝は小畠、沢谷回りで神山へ向かいます。隣のサーちゃんの生家の脇を通ります。



西三子山です。


下沢谷の集落です。


上沢谷ではツタやんが散歩しておりました。手を振ってくれて、お元気そうです。


あん橋へ出ました。


神山でトイレ休憩。


神山の赤木というところでセツ姉の車に梅やんは乗り換えました。

それでは今日はこの辺で。明日は日記を休みます。





みなみの梅やん介護日誌 血液検査でカリウムが低い梅やん

2020-05-13 21:48:00 | 日記



朝、玄関に緑色の大きなガが来ておりました。


梅やんは今日もデイサービスに行きました。


私はお茶を製造しました。炒ってから干します。



夕食はオデンでした。


午後9時半、私は先に寝ます。洗い物をする梅やんです。
今日も診療所に行き、テリボン注射と、昨日の血液検査でカリウムが低いので薬の追加をして頂きました。ラシックスを飲むとカリウムが減るそうです。
それではみなさま御休みなさい。また明日。







みなみの梅やん介護日誌 瀬津のあんにゃ

2020-05-13 03:14:00 | 日記


昨日の朝、梅やんは体温を測りました。


毎朝この程度、35、7度です。


歩いて坂道を上り、デイサービスの車にのりました。


庭の花。


坂州の診療所が有る所です。子どもの頃は街のように思っていましたが、山です。


デイサービスセンターから見える高城山。


坂州地区には田んぼがあってツバメが飛んでいました。木沢には田がないと書いた事がありましたが、坂州地区にはありました。奥の沢谷地区には田んぼが有りません。


梅やんはデイサービスの後、木沢診療所へ。最後の順番でした。薬を貰ったのは5時40分でした。


日が暮れて行きます。
この日、役場で梅やんにくれる10万円の「新型コロナ関連給付金」の申請をしました。私にはこの意味が分かりません。認知症の梅やんにわかるはずも有りません。
役場に行くと、藤田やすしさんと阿南農協さんから不織布マスクが梅やんにプレゼントされました。この意味も梅やんには分かりません。でもありがたい事です。

マスク10枚の寄付。
藤田さんは元木頭村助役の息子さんで東京で活躍されている実業家です。


夜、梅やんがポツリポツリと言いました。「瀬津のあんにゃが兵隊に行く時、皆んなで向こうの加州の峠まで見送りに行ったわ。あんにゃは『頑丈にきたえしこの腕がお国の役に立つならば、私の命は惜しく有りません』と立派にあいさつをして別れたわ」と、昔のことはよく覚えております。
峠を歩いて降りて来るとちょうど坂州へ出て来ます。


瀬津のオッサンもこの風景を見たことでしょう。
この日記は夜中に書いております。前夜と同じで、梅やんをトイレ誘導して夜用の紙オムツパンツを履かせた後、私の目が覚めてしまいました。また一眠りしましょう。
それでは今日はこの辺で。