パソコン上達日記2

日々の雑感を戯れに綴ります

心を視覚としてとらえられたら

2016-03-29 14:46:43 | つぶやき

私は雑念が多い人間だなと思っている。病気を経験して色々なことを学んだが、不安が消えることはない。

考えても仕方のない将来のこと、未来のこと・・・思い悩むというか、雑念として浮かび上がるなぁと思っていた。

色々な物で散らかった部屋・・・、モノをあるべき場所に片づけて不要なものを捨て去ることで整頓していくように、心に浮かび上がるとりとめのない思考・雑念を体系的に理論づけて、整理していけたらいいのになと思う。

心の場合、心の中で色々な雑念の置き場所を作り(それは本を読んだり友達と話したり・・・なにかのきっかけで棚が生まれたり自分で意識して作ったりする)そこにいったん預けてもまたあふれだしてしまう。部屋を片づけてもすぐ散らかる様に。散らかさないように置き場所を作り、習慣として片づける、感情的にならず冷静に処理するしか方法はない・・・。

あふれてくる雑念を、例えば身体を使うことや、他のことに集中することで忘れらるが、「浮かんでくるという」そのものをストップさせられないだろうか。それも一段上の精神修養だろうなぁ。

こういうことも考えた。

心というのは脳だから、脳の状態を視覚で、ゲームのように楽しく面白く見られないかということだ。何か身体にセンサーのようなものをつけてパソコンにつなぐ、そうすると今の心の状態 不安とかリラックスしているとか、そういう状態が時間的に遡って映像化されたら面白いのに。もっと科学的にデータとして自分の心を見られると面白いのに。

けれどこれはデジタル化されるということだろう。デジタル化というと、私は主治医の言葉をいつも思い出す。「がんというのはデジタル的思考で考えられるものではない。」もしかすると未来にロボットが小説を作ることは可能かもしれない、でも雑念が浮かばないのが人工知能=ロボットだろう。そう思うと雑念に振り回されるのも当たりまえか(笑)

 

 

 

Comments (2)