「張伸先生は、樊城の有名なおうちの出身なんですよ。学もおありなのに、威張り散らしたりしないで、困った人間を助けてくださるいい先生です。病人がいれば薬をもってきてくれるし、貧乏人には米をめぐんでくださるし、喧嘩をしているとすぐに仲裁にはいるし、老人は最期まで看取るしね。張伸先生の家に人が出入りしているのは、先生の徳を慕って勉強を教わりに来るからでしょうよ」
「出入りする人間の中に、女はいるかい」
孔明が愛想よくたずねると、女はちょっと戸惑った顔をした。
どうやら、女にとっては、張伸先生は身内同然らしい。
その身内同然の者を、このあきらかによそ者とわかるふたりに売ってよいものなのか、しかし、目の前にいる、この美青年を失望させるのも気の毒だ、と、そんなふうに考えているのだろう。
「まあ、ね、いるような、いないような」
「どっちだい」
「います、いますよ、何人もね。でも、色っぽい関係じゃなさそうですよ。なかには、おばあさんもいますからね」
「十四くらいの、きれいな女の子はいなかったかな」
「いたかもしれませんね」
「では、背の高い、色黒の女はいなかったろうか」
「背が高くて色が黒いんですか? 色が黒いのは何人か見ましたよ。あれはどこかの農婦でしょうね。でも、背が高い女というのはわかりませんね」
女は早く解放されたいらしく、そわそわと落ち着きがない。
そんな女に、孔明はふところから小銭を取り出すと、これで美味しいものを食べるといいよと口ぞえて、女の手に握らせた。
女はじろりと小銭を値踏みして、それから、ふん、と鼻息を荒くしてから去った。
※
しばらくして、陳到が十人ほどの猛者を引き連れてきた。
心配りのきく陳到だけに、夢得路の静けさをやぶり、隠れ家の張伸をおどろかせないようにと、足音を殺してやってきた。
その顔ぶれを確認して、趙雲は満足してうなずいた。
やってきた者たちは、精鋭のなかでも、とくに屋内での捕り物に向いた小柄な者たちばかりであった。
さっそく家の扉の前に立つ。
中に人のいる気配はない。
あたりの静けさに加えて、家の中の物音もしない。
しかし、女のことばを信じるなら、ここには数人の人間が出入りしているはずなのだ。
入ったなら、出て行くことのできない家。
中になにがあるというのか。
緊迫した空気の中、陳到が率先してしずかに扉を開く。
扉の錠は外れていた。中庭には誰の姿もない。
きれいに掃き清められているが、大人数が行き来している気配も感じられない。
家畜の姿もなく、やはり、やけに静かだ。
陳到が、数人に合図をして、母屋に突入した。
趙雲も、孔明をかばいつつ、そのあとにつづく。
そして、母屋に足を踏み入れたとたんに、これは担がれたのかもしれない、とさえおもった。
家のなかにはやはりだれの姿もなかった。
さらには、最低限の家具しか置いていなかった。
女ッ気もなければ、生活していた気配も薄い。
机、棚、燭台、衣桁、衝立、寝具、どれも一人分で、とても数人で利用していたとはおもえないほどに片付いていた。
孔明が、棚のうえのほこりを指先でたしかめつつ、言った。
「掃除は行き届いているようだから、人が住んでいるのはまちがいない。だが、家の傷みがほとんどないのが気にかかります」
つづく…
「出入りする人間の中に、女はいるかい」
孔明が愛想よくたずねると、女はちょっと戸惑った顔をした。
どうやら、女にとっては、張伸先生は身内同然らしい。
その身内同然の者を、このあきらかによそ者とわかるふたりに売ってよいものなのか、しかし、目の前にいる、この美青年を失望させるのも気の毒だ、と、そんなふうに考えているのだろう。
「まあ、ね、いるような、いないような」
「どっちだい」
「います、いますよ、何人もね。でも、色っぽい関係じゃなさそうですよ。なかには、おばあさんもいますからね」
「十四くらいの、きれいな女の子はいなかったかな」
「いたかもしれませんね」
「では、背の高い、色黒の女はいなかったろうか」
「背が高くて色が黒いんですか? 色が黒いのは何人か見ましたよ。あれはどこかの農婦でしょうね。でも、背が高い女というのはわかりませんね」
女は早く解放されたいらしく、そわそわと落ち着きがない。
そんな女に、孔明はふところから小銭を取り出すと、これで美味しいものを食べるといいよと口ぞえて、女の手に握らせた。
女はじろりと小銭を値踏みして、それから、ふん、と鼻息を荒くしてから去った。
※
しばらくして、陳到が十人ほどの猛者を引き連れてきた。
心配りのきく陳到だけに、夢得路の静けさをやぶり、隠れ家の張伸をおどろかせないようにと、足音を殺してやってきた。
その顔ぶれを確認して、趙雲は満足してうなずいた。
やってきた者たちは、精鋭のなかでも、とくに屋内での捕り物に向いた小柄な者たちばかりであった。
さっそく家の扉の前に立つ。
中に人のいる気配はない。
あたりの静けさに加えて、家の中の物音もしない。
しかし、女のことばを信じるなら、ここには数人の人間が出入りしているはずなのだ。
入ったなら、出て行くことのできない家。
中になにがあるというのか。
緊迫した空気の中、陳到が率先してしずかに扉を開く。
扉の錠は外れていた。中庭には誰の姿もない。
きれいに掃き清められているが、大人数が行き来している気配も感じられない。
家畜の姿もなく、やはり、やけに静かだ。
陳到が、数人に合図をして、母屋に突入した。
趙雲も、孔明をかばいつつ、そのあとにつづく。
そして、母屋に足を踏み入れたとたんに、これは担がれたのかもしれない、とさえおもった。
家のなかにはやはりだれの姿もなかった。
さらには、最低限の家具しか置いていなかった。
女ッ気もなければ、生活していた気配も薄い。
机、棚、燭台、衣桁、衝立、寝具、どれも一人分で、とても数人で利用していたとはおもえないほどに片付いていた。
孔明が、棚のうえのほこりを指先でたしかめつつ、言った。
「掃除は行き届いているようだから、人が住んでいるのはまちがいない。だが、家の傷みがほとんどないのが気にかかります」
つづく…