はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

うつろな楽園 その29

2013年09月22日 07時34分13秒 | 習作・うつろな楽園
「張伸先生は、樊城の有名なおうちの出身なんですよ。学もおありなのに、威張り散らしたりしないで、困った人間を助けてくださるいい先生です。病人がいれば薬をもってきてくれるし、貧乏人には米をめぐんでくださるし、喧嘩をしているとすぐに仲裁にはいるし、老人は最期まで看取るしね。張伸先生の家に人が出入りしているのは、先生の徳を慕って勉強を教わりに来るからでしょうよ」
「出入りする人間の中に、女はいるかい」
孔明が愛想よくたずねると、女はちょっと戸惑った顔をした。
どうやら、女にとっては、張伸先生は身内同然らしい。
その身内同然の者を、このあきらかによそ者とわかるふたりに売ってよいものなのか、しかし、目の前にいる、この美青年を失望させるのも気の毒だ、と、そんなふうに考えているのだろう。
「まあ、ね、いるような、いないような」
「どっちだい」
「います、いますよ、何人もね。でも、色っぽい関係じゃなさそうですよ。なかには、おばあさんもいますからね」
「十四くらいの、きれいな女の子はいなかったかな」
「いたかもしれませんね」
「では、背の高い、色黒の女はいなかったろうか」
「背が高くて色が黒いんですか? 色が黒いのは何人か見ましたよ。あれはどこかの農婦でしょうね。でも、背が高い女というのはわかりませんね」
女は早く解放されたいらしく、そわそわと落ち着きがない。
そんな女に、孔明はふところから小銭を取り出すと、これで美味しいものを食べるといいよと口ぞえて、女の手に握らせた。
女はじろりと小銭を値踏みして、それから、ふん、と鼻息を荒くしてから去った。





しばらくして、陳到が十人ほどの猛者を引き連れてきた。
心配りのきく陳到だけに、夢得路の静けさをやぶり、隠れ家の張伸をおどろかせないようにと、足音を殺してやってきた。
その顔ぶれを確認して、趙雲は満足してうなずいた。
やってきた者たちは、精鋭のなかでも、とくに屋内での捕り物に向いた小柄な者たちばかりであった。

さっそく家の扉の前に立つ。
中に人のいる気配はない。
あたりの静けさに加えて、家の中の物音もしない。
しかし、女のことばを信じるなら、ここには数人の人間が出入りしているはずなのだ。
入ったなら、出て行くことのできない家。
中になにがあるというのか。
緊迫した空気の中、陳到が率先してしずかに扉を開く。
扉の錠は外れていた。中庭には誰の姿もない。
きれいに掃き清められているが、大人数が行き来している気配も感じられない。
家畜の姿もなく、やはり、やけに静かだ。

陳到が、数人に合図をして、母屋に突入した。
趙雲も、孔明をかばいつつ、そのあとにつづく。
そして、母屋に足を踏み入れたとたんに、これは担がれたのかもしれない、とさえおもった。
家のなかにはやはりだれの姿もなかった。
さらには、最低限の家具しか置いていなかった。
女ッ気もなければ、生活していた気配も薄い。
机、棚、燭台、衣桁、衝立、寝具、どれも一人分で、とても数人で利用していたとはおもえないほどに片付いていた。

孔明が、棚のうえのほこりを指先でたしかめつつ、言った。
「掃除は行き届いているようだから、人が住んでいるのはまちがいない。だが、家の傷みがほとんどないのが気にかかります」

つづく…

うつろな楽園 その28

2013年09月21日 09時44分53秒 | 習作・うつろな楽園
夢得路は、新野の西南にあるさびれた静かな街である。
市場とすこしはなれたところにあるためか、往来する人の数もすくなく喧騒とはかけ離れていて、どこからか豚のいななきや犬の吠え声などが聞こえてくるくらいである。
正午をだいぶすぎ、未の刻をすこし過ぎたくらいだ。
あたりには気だるい空気が漂っている。

趙雲と孔明という目立つふたりが夢得路に向かうと、数少ない通行人が、なにごとかというふうに怪訝な顔をした。
孔明は、その往来を行く者のなかから、いかにもこの街にしっくりなじんでいる、洗濯物の入った籠を頭に載せて移動していた中年女を呼びとめ、このあたりに、よそ者が出入りしている家はないか、ということをたずねた。
女ははじめ、答えを渋っていた。
しかし孔明が低姿勢になおもたずねつづけると、しぶしぶ、というふうに、重たい口をやっとひらいた。
「たしかに、たまに知らない人が出入りしている家はありますよ」
当りだな、と趙雲がいうと、孔明もうなずいた。
ふたりのそんなやりとりを見て、女は不穏なものを感じ取ったらしく、口をとがらせて言う。
「でも、そこに住んでいる張伸先生は、お優しい方ですよ」
「家のあるじは、張伸先生というのか」
ええ、と女がうなずくのを見て、趙雲は呆れた。
張伸は、恐れも知らず、本名で隠れ家に住んでいるのだ。
そして、多くの人間を隠れ里に誘い込んでいる。
その大胆不敵な態度に、趙雲は張伸の自信も感じる。
かれは、自分のしていることが正しいとおもっているのだろう。

たしかに、戦などろくなものではない。
人は傷つく、あるいは死ぬ、家は焼かれる、故郷は汚れる、心の傷もつくっていく。
ひとつもよいことがない。
だが、争いはえんえんとつづいていく。平和を得るために戦っているありさまなのが今の世の現状だ。
悲惨なのは巻き込まれる一般の民で、かれらのことを真剣におもえば、逃げる、逃がす、というのも方法のうちだろう。
張伸が語る非戦はたしかにうつくしい理想だ。

だが、あまりにうつくしすぎるように趙雲には感じられる。
戦がいやならば逃げるがいい。
だが、人間は、やはりうつくしいばかりでは生きていけないのだ。
うつくしい理念に憧れる一方で、あさましい欲望ももてあましているのがふつうの人間なのである。
非戦の思想は立派だし、こころ惹かれるものがあるが、逃げるという選択をしているだけでは、複雑な人間の心情からつむがれる天下のさまざまな問題を解決しきれない。
このうつくしい理念を実現するためには、相当に狡猾にうごき、かつ、水面下では激しく戦う必要がある。
その矛盾にも苦しむ必要がある。
戦いを厭う気持ちはよくわかる。
だからこそ、「戦わねばいい、逃げればいい」という単純すぎる発想に、趙雲は反発をおぼえるのだ。

あるいは、おれは純粋すぎる張伸に、嫉妬しているのかな、とすら、趙雲はおもった。
あまりに多くのものをいままで見すぎてきた。
自身も、何度手を血で染めてきたかわからない。
張伸のように純粋な人物を前にすると、自分が汚れたものにおもえてしまうのだろうか。
おれはそんなに弱気になっているのか。
いや、どちらがただしい?

孔明が、張先生の家はどこかとたずねると、女が答えた。
そこは夢得路の片隅にひっそりとある、ごくごくふつうの漆喰の家だった。
女にさらにたずねると、ここ数日は、頻繁に人が出入りをしているということだった。
ついでに、人喰い宿の噂を知っているかとたずねると、あんなものは子供の流した噂に過ぎない、と鼻で笑われた。

つづく…

うつろな楽園 その27

2013年09月20日 10時33分59秒 | 習作・うつろな楽園
「どうしてもわたし自身で見つけてやりたい。女の身ひとつで、いったいどこでどうしているやら。蔡夫人の横槍など気にせずにいていいということも、じかに話してやりたいのです。わたしは呉起じゃない」
孔明は、黄月英という妻を大切にしているのだなと趙雲は感心した。
そうして孔明みずからが口にしたように、呉起の話をおもいだしていた。
立身出世のため、他国人であった妻を殺した酷薄な兵法家の呉起。
かれは戦国時代のひとであるが、突出した功績と、それに釣りあわない苛烈な人格と行いがとくに目立って後世に記憶されている。
趙雲にとって、兵法家、軍師、というと、呉起のように、人を道具のようにあつかう者たちであった。
そこからいくと、孔明はずいぶん優しい人間におもえる。
つきあいやすく、その心情をはかれるのは、圧倒的に孔明のほうであるが。

だが、優しいばかりでは世の中を渡っていけない。
孔明が有能であることは、劉備とともに近くでその仕事ぶりを見ていてわかっている。
兵法家ではなく、政治家としてなら、孔明は非凡な人物だろう。
しかし、軍師としてどれほどの器なのかは、まだはかりかねている。
愛妻のために、わざわざ危険な場所へみずからおもむく。
その行為は英雄的と誉められるべきか、それとも愚の骨頂とわらわれるべきか。

いや、おれが同道する以上は、わらわれるような結果にしてはならんなと、趙雲はおもった。
年若い上役の顔を立てるためというよりは、年長者として、単純にそうおもったのである。

孔明は、夢得路には、おそらく張伸の隠れ家があり、そこに隠されている張飛のほか、何人かの腕利きが潜んでいる可能性もあると言った。
「ただ気にかかることがあります。春蕾が聞いたうわさのとおりなら、そこは『人喰い宿』ということです。そこに入った者は、出てくることはない。あくまで推測ですが、うわさでいう『旅人』とは、徴兵逃れをしてあつまってきた若者たちのことを指すのではないでしょうか。張伸が徴兵逃れの手伝いをしてくれるときいて、四方から隠れ家にあつまってきたのでしょう。
かれらは、入っていったきり、出てくることはない。おそらく、なんらかの仕掛けを張伸は持っていて、たくさんの人をどこかに隠すことができるにちがいありません」
なぜ張伸は徴兵のがれを手伝っているのだろう、そして、どんな手段で人を隠すのだろうと趙雲はかんがえたが、答えはすぐには浮かばなかった。
ただ、はじめて黄石公橋のうえで会ったとき、ハマグリの貝殻を渡されたといって、はしゃいでいたことがおもいだされる。
かれは、これで民が救われる、という奇妙なことを口にしていた。
あのことと、なにか関連があるのだろうか。
「やつが、妙な仕掛けでもってこちらを攻撃してきた場合、どうする」
「こちらも仕掛けで対抗しましょう。だいじょうぶ、子龍どのの足手まといにはなりません。工房でつくった秘密兵器がありますから」
そういって、孔明は笑った。

つづく…

うつろな楽園 その26

2013年09月19日 09時34分41秒 | 習作・うつろな楽園
「どうされた」
孔明の問いに、趙雲は、かくかくしかじかで、張伸という男がいて、以前に主公に新野を去るように説きにきたことがあり、こいつが睡蓮をさらった客によく似ていると説明した。
すると孔明は目をぱっちりとあけて、大きくうなずいた。
「よく思い出してくださいました。これでこちらも手を打つことができます。陳到どの、張飛どののところの兵卒は、新野の、どの街に『ありがたいお方』がいると言っておりましたか」
「新野の西南にあります夢得路(ぼうとくろ)だと聞きました」
「よろしい、それでは、夢得路にまいりましょう。そこに張伸がいる可能性があります」
「もしや、張飛どのも?」
「そう考えたほうが、筋がとおるでしょう。張伸は相当な夢想家の様子。戦を厭う民をさそい、いずこかの隠れ里に匿ってやっているにちがいありません。われらが戸籍の是正をはじめ、徴兵のがれをしていた若者が張伸のところへ一気に押し寄せたがために、大量の食糧も必要となった。そこで、張伸はわれらを脅して兵糧を掠めとる策をとったのです。おそらくさいしょに子龍どのを狙ったのは、こんなことをおもったからではないでしょうか。『子龍どのならばこちらの言い分をわかってくれる』と」
「おれが、どうして」
「樊城へかえるまでの二晩は、張伸にとって、よほど心地よいものだったのでしょう。子龍どのは、聞き上手ですからね。気持ちよくしゃべれたのを、こちらの考えを理解してくれたのだ、と都合のいいふうに解釈したのかもしれません」
「なるほど」
と、陳到。趙雲としては、複雑なおもいでそのことばを聞いた。
「もしそれがほんとうだとすれば、やはり張伸に、人質を害するつもりはないのではないか」
「そこは甘く考えてはなりません。張伸のうしろには、いまにも餓えんとする千人もの男たちがいるのです。かれらが逆上することを予想したなら、温厚な張伸も、命惜しさに張飛どのを犠牲にすることを選択するでしょう」
「こわいことを淡々といわんでくれ。ともかく、夢得路だ。叔至、おまえも十人ほど気の利いた者をつれて、あとから来てくれ」
「わかり申した。しかし、夢を得る路、とは、皮肉なところに賊も潜んでいるものですな」
「験をかついだのかもしれませんよ」
さらりと言う孔明とともに、趙雲は新野の西南、夢得路へと向かうことにした。





あらためて武装をととのえながら、趙雲は孔明にたずねる。
「軍師、もしかしたら危険な捕り物になるかもしれぬ。城に待機してくれていたほうがいいのではないかとおもうが」
「お心遣いには感謝しますが、わたしにはどうしても張伸本人に聞きたいことがある」
「奥方のことか」
すこし呆れをにじませていうと、孔明はそうです、と目を伏せた。

つづく…

うつろな楽園 その25

2013年09月18日 09時10分51秒 | 習作・うつろな楽園
「兵卒はその話に悩みましたが、逃亡がばれたあと、自分はいいが、残された家族がひどい目に遭わされたら困る、とおもい、新入りの話には乗らなかったそうです。それで、しばらくしたら、よくわからないうちに新入りの姿が見えなくなって、そのかわり、こんな噂が流れるようになったというのです。
新野には人喰い宿というものがあって、何も知らない旅人がうっかり泊ると、入ったきりで出てこられない、という。その人喰い宿のある街と、新入りが、『ありがたい方がいらっしゃる』といっていた家のある街が一致していたので、その兵卒は、もし自分が新入りといっしょに逃げていたなら、自分も食われていたかもしれない、とぞっとしたそうでございます」

趙雲は孔明と顔を見合わせた。
春蕾が笑いながら語った人喰い宿のはなしがここでも出てきた。
偶然なのか?

「その兵卒のほかに、逃げた者はいなかったのですか」
「わたしが確かめたかぎりでは、意外にも逃げた者はいなかったようです。名簿を調べましたが、その新入りを特定することはできませんでした」
「新入りの特徴は? 『上品な痩せぎすの二十五くらいのおとなしい男』ではなかったか」
「年は合っていますな。ただ、その新入りは、二十代前半の、ごつい若者だったそうです」
「ふむ、橋の上の痩せた小枝のような男と、虞美人楼の『上品な痩せぎす二十五くらいのおとなしい客』…これは同一人物とみてまちがいないだろう。それから睡蓮、ごつい新入り、すくなくとも三人が、この件に関わっているということだな」

なんのことでございますか、と興味津々で陳到がたずねてくるので、趙雲は虞美人楼で聞いた話を陳到にもした。
すると、陳到は、気味が悪くなったらしく、かれにしてはめずらしくぞくっと身をふるわせた。
「なんとも不気味な話ですな。人喰い宿のこともそうですが、人が簡単に消えてしまうところなど、この世の話とは思えませぬ」
たしかに、今回の事件には、なにか底流に不気味なものがある気がしてならない。
初更までに、事件を解決させられるだろうか。

趙雲が不安をおぼえはじめていると、虞美人楼からの使いがきて、店の娘が描いたという似顔絵を持ってきた。
ちょうど正午をしらせる太鼓が城の楼閣で鳴らされたところであった。
おそらく、気を利かせた春蕾が、せかして描かせたものだろう。
その心遣いに感謝しつつ見ると、店の娘が描いた似顔絵は、出来がよかった。
客の小心で神経質そうなところをよくとらえている。

その目鼻立ちのととのった細面を見て、趙雲は、おや、とおもった。
虞美人楼にて睡蓮をさらった男。
黄石公橋で趙雲を待っていた痩せた小枝のような男。
若い。二十五くらい。
ふっと、趙雲の脳裏に四年前のできごとが浮かんだ。
やはり、あの男もはじめは自分に背中を向けて立っていた。小枝のように細い背中を。
名をなんといったか。
たしか、樊城まで二晩をともにして送り届けたのだった。
樊城でも名の知れた家の何番目かの息子で…陳ではない、梁ではない、張…! 
そうだ、張だ。張伸、といわなかったか。
当時は二十歳をすぎたばかりだった。
あれから四年。
もう二十五にちかい年になっているはず。
偶然の一致か? 
いまから樊城に使いをやって、張伸の消息をたずねるか? 
いや、そんなことをしていたなら、張飛の命はなくなってしまう。
賊は初更、林にあらわれるはずなのだ。
その前になんとかしなければならない。

つづく…

新ブログ村


にほんブログ村