しばらくすると、野営にいつもより多めの篝火が焚かれ、鄧幹《とうかん》の使者がもってきた大量の酒甕《さけがめ》の蓋があけられた。
酒の酔い香がぷうんとあたりに漂い、それと同時に気の利く芸人たちが、それぞれ楽し気な音楽を奏ではじめた。
すると、舞姫たちはあどけない少女の顔を一変させ、蠱惑的な舞を披露しはじめる。
篝火のした、長袖をひらひらと宙に舞わせて、音楽にぴたっと合わせて踊るさまは、幻想的ですらあった。
それまで、関羽らとともに、ぶうぶう不平を言っていた者たちも、舞姫たちの見事な踊りに、見とれ始めている。
鄧幹の使者に言い含められているのか、芸人たちはすかさず将兵たちの間に入って、杯に酒をついでまわりはじめた。
孔明のところにも芸人がやって来た。
一瞬、毒はないかなと疑ったが、鄧幹の使者の平然とした顔色を見て、大丈夫そうだと判断した。
要領はよさそうだが、度胸のなさそうな男だ。
こちらに毒を盛っているのなら、もっと顔色を変えているはずである。
孔明がちびちびと酒を進めている横では、まだ文句を言い続けている関羽と孫乾《そんけん》が、ぐいぐいと酒を煽っていた。
「おもしろくないっ」
と声高に関羽は言うが、酒の回って来た将兵たちは、それをあえて無視しているようだ。
実は、孔明はあらかじめ将兵たちに、
「飲んでもよいが、かならずほどほどにすること」
とくぎを刺していた。
かれらは言いつけを守っている様子だ。
宴もたけなわとなったころ、真打ちともいうべき舞姫が前に進み出た。
例の、山猫のような大きな目をした娘である。
ほかの舞姫よりもすらりとしていて、身のこなしも敏捷であった。
芸人と山猫のような娘はたがいに合図しあうと、それまでより早い楽曲で踊り始めた。
くるくると、旋回しながら、舞姫は長袖を空を飛ぶ龍のように舞わせて踊る。
舞姫の足元に合わせるように、少女たちが激しい恋の歌を唄い始め、場は一気に盛り上がった。
将兵たちはやんやの喝さいを送り、関羽と孫乾も、杯を口に運ぶのをやめて、目を瞠《みは》っている。
舞姫はさまざまな動きでひとびとの目を楽しませた。
その柔軟性と、音感の良さは、誰の目にもあきらかであった。
だれもが気を許していた。
舞姫が満面の笑みを浮かべつつ、芸人のひとりから曲芸用の剣を受け取ったときも、面白い出し物だ、くらいにしか思っていない。
剣舞をはじめた舞姫に、ひときわ大きな喝さいが起こった。
当然、鄧幹の使者も、やんやとはしゃいで喜んでいる。
舞姫は複雑なうごきで地に円を描きながら鄧幹の使者の前にやってくると、いきなり、その剣の切っ先を使者の喉元ぎりぎりに突き立てた。
それまでの喝さいとはまったく別の、動揺の含まれたざわめきが起こった。
「な、な、なにをするっ」
鄧幹の使者は、一気に酔いが醒めたようで、目を見開いて、舞姫を見る。
すると舞姫は、それまでの愛らしい笑顔を一変させ、まるで夜叉のような顔をしていった。
「騒ぐな! おまえはいまからわたしの虜《とりこ》だ。
ほかの者も、おとなしく縛に付け! 騒げば、こやつの命はないぞっ」
舞姫の喉から飛び出たのは、まぎれもなく男の声だった。
関羽と孫乾が、仰天《ぎょうてん》して腰を浮かせる。
「なんだ? 男? 男なのか?」
「軍師、早くこやつらを縛に」
舞姫から水を向けられた孔明は、まったく騒がず動じず、舞姫に向かって答えた。
「よくやった、みごとな手際だ、偉度《いど》」
褒めると、舞姫の格好をした、あざなを偉度、姓名を胡済《こさい》は、にやっと笑った。
つづく
酒の酔い香がぷうんとあたりに漂い、それと同時に気の利く芸人たちが、それぞれ楽し気な音楽を奏ではじめた。
すると、舞姫たちはあどけない少女の顔を一変させ、蠱惑的な舞を披露しはじめる。
篝火のした、長袖をひらひらと宙に舞わせて、音楽にぴたっと合わせて踊るさまは、幻想的ですらあった。
それまで、関羽らとともに、ぶうぶう不平を言っていた者たちも、舞姫たちの見事な踊りに、見とれ始めている。
鄧幹の使者に言い含められているのか、芸人たちはすかさず将兵たちの間に入って、杯に酒をついでまわりはじめた。
孔明のところにも芸人がやって来た。
一瞬、毒はないかなと疑ったが、鄧幹の使者の平然とした顔色を見て、大丈夫そうだと判断した。
要領はよさそうだが、度胸のなさそうな男だ。
こちらに毒を盛っているのなら、もっと顔色を変えているはずである。
孔明がちびちびと酒を進めている横では、まだ文句を言い続けている関羽と孫乾《そんけん》が、ぐいぐいと酒を煽っていた。
「おもしろくないっ」
と声高に関羽は言うが、酒の回って来た将兵たちは、それをあえて無視しているようだ。
実は、孔明はあらかじめ将兵たちに、
「飲んでもよいが、かならずほどほどにすること」
とくぎを刺していた。
かれらは言いつけを守っている様子だ。
宴もたけなわとなったころ、真打ちともいうべき舞姫が前に進み出た。
例の、山猫のような大きな目をした娘である。
ほかの舞姫よりもすらりとしていて、身のこなしも敏捷であった。
芸人と山猫のような娘はたがいに合図しあうと、それまでより早い楽曲で踊り始めた。
くるくると、旋回しながら、舞姫は長袖を空を飛ぶ龍のように舞わせて踊る。
舞姫の足元に合わせるように、少女たちが激しい恋の歌を唄い始め、場は一気に盛り上がった。
将兵たちはやんやの喝さいを送り、関羽と孫乾も、杯を口に運ぶのをやめて、目を瞠《みは》っている。
舞姫はさまざまな動きでひとびとの目を楽しませた。
その柔軟性と、音感の良さは、誰の目にもあきらかであった。
だれもが気を許していた。
舞姫が満面の笑みを浮かべつつ、芸人のひとりから曲芸用の剣を受け取ったときも、面白い出し物だ、くらいにしか思っていない。
剣舞をはじめた舞姫に、ひときわ大きな喝さいが起こった。
当然、鄧幹の使者も、やんやとはしゃいで喜んでいる。
舞姫は複雑なうごきで地に円を描きながら鄧幹の使者の前にやってくると、いきなり、その剣の切っ先を使者の喉元ぎりぎりに突き立てた。
それまでの喝さいとはまったく別の、動揺の含まれたざわめきが起こった。
「な、な、なにをするっ」
鄧幹の使者は、一気に酔いが醒めたようで、目を見開いて、舞姫を見る。
すると舞姫は、それまでの愛らしい笑顔を一変させ、まるで夜叉のような顔をしていった。
「騒ぐな! おまえはいまからわたしの虜《とりこ》だ。
ほかの者も、おとなしく縛に付け! 騒げば、こやつの命はないぞっ」
舞姫の喉から飛び出たのは、まぎれもなく男の声だった。
関羽と孫乾が、仰天《ぎょうてん》して腰を浮かせる。
「なんだ? 男? 男なのか?」
「軍師、早くこやつらを縛に」
舞姫から水を向けられた孔明は、まったく騒がず動じず、舞姫に向かって答えた。
「よくやった、みごとな手際だ、偉度《いど》」
褒めると、舞姫の格好をした、あざなを偉度、姓名を胡済《こさい》は、にやっと笑った。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます、うれしいです(^^♪
胡済(偉度)、再登場の回でありました。
お楽しみいただけたなら幸いです♪
昨晩に「2024年2月の近況報告 その2」を更新しています。
そこにくわしく書きましたが、本日「カクヨム」さんから退会します。
そして、躓いていた赤壁編の制作も、急ピッチで進めております。
よろしかったら、記事を読んでみてくださいませね。
とにもかくにも書いていきます。
ひきつづき、応援していただけたならうれしいです!
ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)