はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る・改 三章 その10 毬栗

2025年01月23日 10時10分33秒 | 赤壁に龍は踊る・改 三章
あたりはすっかり日が落ちて、韓福《かんぷく》とおかみさんがつけてくれた蝋燭《ろうそく》だけが頼りだ。
そのせいか、趙雲は落ちていた毬栗《いがぐり》を思い切り踏んづけた。
「痛いっ! まだこんなものが落ちていたのかっ」
悪態をついて、趙雲が毬栗を蹴飛ばす。
だが、毬栗は意地悪なことに、趙雲の草履《ぞうり》に深く刺さり、なかなか飛ばなかった。


普段ではめったに見られない、滑稽な趙雲の様子に、孔明は声を立てて笑う。
「笑っていないで、この毬栗をとる手伝いをしてくれ」
趙雲が軽く睨んできたので、孔明は部屋から出て、草履についた毬栗を抜いてやった。
「あなたがこんなに遅くに帰ってくるとわかっていたら、毬栗は片づけておいたのだけれどねえ」
そう言いつつ、笑いながら、毬栗を手に取る。


その刺々《とげとげ》しい毬栗を韓福にたのんで、捨ててもらおうとしたとき、おかみさんがやってきて、ちょうど晩御飯の支度ができましたとやってきた。
「いいところに帰っていらっしゃいましたね。今晩は魚を煮ましたよ」
「魚か。それはありがたい。軍師、おれは長江の魚を食べるのは初めてだ」
「いままで肉がほとんどだったからね。美味しい肉だったけれど」
孔明が応じると、おかみさんが申し訳なさそうに言った。
「このところ、市場でも魚があまり出ないんですよ。
日中は戦がありますでしょう? 代わりに夜に出かけるにしても、川霧が出ますから危ないそうですし」
「ああ、この季節は、川の霧がすごいからね。
わたしも叔父上と夜釣りに出かけようとして、家来から止められたことがあるよ」
そう答えつつ、孔明はなつかしい叔父の諸葛玄との思い出を晩御飯のときに趙雲に教えようと考えた。


『川霧か』
長江に立ち込める川霧。
そのとき、孔明の脳裏に、まだ見ぬ対岸の烏林《うりん》の要塞が浮かんだ。
急ごしらえで作っているというその要塞の姿が、霧の向こうで呼びかけているような感覚がある。
こっちへ来てみろ、覚悟をみせてみろ、と。


『矢が用意できないくらいで、曹操ではなく周都督の手にかかるのか?』


あらためて、冗談ではないと思った。
この危機をなんとかしのぐ手立てを……そう思った時、手にした毬栗のとげが、孔明の手のひらの皮膚をいじめる。
これは確かに、刺さったら痛いな、と思った時である。


霧の向こうの曹操の巨大な要塞。
手にしている毬栗。
それらを見て、突如として電光のようにひらめいたことがあった。
『そうか……!』
「どうした?」
目を見開いたまま、動かなくなった孔明を心配した趙雲がうながしてくるが、孔明は動かず、空を見つめる。
誰にも見えないところで、凄まじい早さで新たな作戦が組みあがりつつあった。
『出来るか? いや、仮に出来る可能性が低くても、やらねばならない。
どちらにしろ、なにもしなければ死ぬのを待つだけになるのだ』


孔明は、はっ、と息を吐くと、心配そうに自分の反応をじっと待っている趙雲と、おかみさんに微笑みかけた。
「すまない、大丈夫だ」
「ほんとうか?」
「ほんとうだとも。さて、晩御飯だな。せっかくの煮魚が冷めないうちにいただこう。
それとおかみさん、申し訳ないのですが、だれかに使いを頼めませぬか。
朝一番に、周都督のところへ行ってほしいのです」
「わかりましたわ。言伝《ことづて》をすればよろしいのですか?」
「いや、あとで手紙を書くから、それを渡してほしいのです」
おかみさんは、なにかしら、という浮かない顔をしつつも、分かりましたと答えた。


「軍師、手紙の内容はなんだ? まさか、矢は調達できませんと泣きつくのでは?」
趙雲の問いに、孔明はからから笑って、それから答えた。
「そう気弱になるものじゃない、わたしは天才軍師なのだ。こんな苦境、軽々と超えて見せる」
「さっきとだいぶ違うが」
「意地悪を言うな。あなたの喉に、魚の骨がひっかかっては気の毒だから、後で教えてあげるよ」
「それこそ、いま聞かないと、食事が喉に通らん」
「では言うが、都督には、三日で矢を用意すると伝えるのだ」
趙雲は、これでもか、というくらいに目をまん丸にした。
「何を言い出した? 正気か?」
「すこぶる正気だ」
「わざわざ期限を短くする意味は?」
「まだ秘密だ。明日の夜までに都督に頼んで、ありったけの船を用意してもらおう。
そうさな、なるべく船室がしっかり作ってある、蒙衝《もうしょう》がいいだろう」
「船をどうする? 逃げるのか?」
「逃げるものか。まあ、すべてはあとで教えてあげるよ。それまで楽しみにしていてくれ。
ほら、そんな顔をするものじゃない、煮魚をいただきに行こうよ」
ほがらかに言う孔明に、趙雲はキツネにつままれたような顔をして首をひねっていた。


つづく



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。