※
張郃《ちょうこう》は満足した。
曹操が、いよいよ本腰を入れて劉備の追討にうごいたことが、うれしいのである。
『こんどこそ、劉備の首をとって見せる。趙子龍ごときに邪魔をされてなるものか』
聞いた話では、劉備たち一行は、民を連れているため、いまだ江陵《こうりょう》にたどり着いていないと聞く。
追えば、三日もしないうちに追いつくだろうとのことだった。
おそらく、劉備たちは水と食料の確保にも汲々《きゅうきゅう》としていて、心身ともにボロボロになっているだろうが……かまうものかと張郃は思う。
ついていった民についても同情はまったくしない。
判断をまちがえるから、死ぬ運命になるのだ。
本気でそう思っている。
出発の前日、壮行会がひらかれた。
かつては劉表らが使っていた襄陽城《じょうようじょう》の大広間に、いまは曹操とその腹心たちがずらりとならぶ。
曹操が許都からつれてきた楽団のかなでる音楽に耳をかたむけ、ゆったり飲む酒は格別である。
さらには、曹操みずからがつくった詩歌をみなで唱和したり、あざやかな芸を見せる雑技団の芸をたのしんだり、いろいろ盛りだくさんである。
とくに、曹操の楽団の腕はすさまじく、劉琮側の芸妓たちを圧倒していた。
だれもが目を丸くして、この新しい音楽はなんだろうという顔をしている。
それを見るのも面白かったが、劉琮たちの舞姫たちもなかなかの美姫ぞろい。
さっそく楽団に負けじと地元由来の踊りなどを披露して意地をみせ、諸将をさらに楽しませた。
曹操は上機嫌で、つねに何を見ても笑っていた。
明るい笑い声をあげつづける曹操につられるように、重臣たち、腹心たちもみな、美酒に酔っている。
張郃もまた、おおいに楽しんだものだが、まわりを観察することも忘れない。
となりにいる張遼は静かに微笑みつつ、ゆったりかまえて酒を飲んでいる。
曹仁と曹洪らは、舞姫たちや芸人たちを囃《はや》し立てて、子供のようにはしゃいでいた。
一方で虎痴将軍《こちしょうぐん》は、いっさい酒には手を触れず、曹操のそばに佇立《ちょりつ》している。
その曹操は、なにか盛り上がることがあるたびに、率先して声を立てて笑っている。
一方で、となりにいる劉琮は、なにを見てもにこりともしない。
どうあれ、城が落ちたことが悔しいのだろうか。
蔡瑁《さいぼう》とくらべれば、気骨《きこつ》があるほうなのか?
笑みを見せないのは、われらに対する、精一杯の抵抗のつもりなのだろうかとすら張郃は思ったが、見ているうち、その印象も変わった。
劉琮の意思のなさげな、人形のようなのっぺりした顔をみていると、何か違うような気もする。
いかにも育ちの良い美少年といったふうだが、曹操からはまるっきり無視されているのだ。
代わりに蔡瑁と張允《ちょういん》らが、曹操の酒の相手をしていた。
蔡瑁と張允は、必死なのがよく見て取れた。
誇りも矜持《きょうじ》もなにもなく、曹操に使えるだけのおべっかをすべて使っている、といったふうである。
曹操のほうはというと、やはり余裕があり、旧友との再会がうれしいらしく、おべっかとわかっていながらも、それを機嫌よく受け取っていた。
声高に曹操を褒めちぎる蔡瑁を見て、張郃は心底、吐き気がする思いだった。
ゴマすり男どもめ、と思ってしまうが、ほかの家臣たちは、かれらの態度にも知らん顔。
なれなれしい、図々しい。
そう思ってはいるだろうが、あまり顔に出さない。
たまりかねて、張郃はとなりの席に座る張遼にたずねる。
「劉表の病をよいことに、この荊州を骨抜きにしたのはやつらだろう。
ほかの者どもはともかく、なぜ丞相はやつらを斬らないのかな」
あまり感情的になり過ぎぬよう、声をおさえてそう聞くと、張遼は、ふむ、と短く返事をした。
かれは静かに杯を口に運んでいたが、やがて杯を置き、答えた。
「斬らない理由はあきらかだ。曹公はやつらの水軍を欲しているのだ。
これからさき、江東を制圧するには、水軍がどうしても必要となる。
だが、われらは北の人間。船をあつかう術にとぼしい」
張遼の言わんとすることを素早く察知し、張郃は納得した。
「つまり、利用できるものは利用しようと」
「そういうことだ。やつらを始末するのはいつでもできる。
だが、始末してしまえば、荊州の水軍を束ねられる者がいなくなってしまう。
そこで仕方なく、やつらを生かしているというわけさ」
「では、われらが連中の技を盗み、水軍を利用できるようになれば」
「言わずもがな、だな。連中は用済みだ」
なるほどと腑《ふ》に落ちたものの、蔡瑁らの平身低頭の情けない姿を見ていると、やはりむかむかした。
なんでこれほどにイライラするのだろうと考えて、すぐに理由が見つかった。
かつて袁紹軍から曹操軍にくだったときの自分も、あんなふうだったかもしれないと考えてしまうからだ。
いや、おれはもっとしっかりしていた、と思うのだが、わからない。
張郃も、生き残るために必死だった。
淳于瓊《じゅんうけい》のようになりたくない一心だったから、はたから見れば、あんなふうにおべっかと賛辞の嵐を曹操に浴びせて、命乞いをしているように見えたかもしれなかった。
なんだか気分がしらけてきて、張郃は厠《かわや》に行くといって、席を立った。
つづく
張郃《ちょうこう》は満足した。
曹操が、いよいよ本腰を入れて劉備の追討にうごいたことが、うれしいのである。
『こんどこそ、劉備の首をとって見せる。趙子龍ごときに邪魔をされてなるものか』
聞いた話では、劉備たち一行は、民を連れているため、いまだ江陵《こうりょう》にたどり着いていないと聞く。
追えば、三日もしないうちに追いつくだろうとのことだった。
おそらく、劉備たちは水と食料の確保にも汲々《きゅうきゅう》としていて、心身ともにボロボロになっているだろうが……かまうものかと張郃は思う。
ついていった民についても同情はまったくしない。
判断をまちがえるから、死ぬ運命になるのだ。
本気でそう思っている。
出発の前日、壮行会がひらかれた。
かつては劉表らが使っていた襄陽城《じょうようじょう》の大広間に、いまは曹操とその腹心たちがずらりとならぶ。
曹操が許都からつれてきた楽団のかなでる音楽に耳をかたむけ、ゆったり飲む酒は格別である。
さらには、曹操みずからがつくった詩歌をみなで唱和したり、あざやかな芸を見せる雑技団の芸をたのしんだり、いろいろ盛りだくさんである。
とくに、曹操の楽団の腕はすさまじく、劉琮側の芸妓たちを圧倒していた。
だれもが目を丸くして、この新しい音楽はなんだろうという顔をしている。
それを見るのも面白かったが、劉琮たちの舞姫たちもなかなかの美姫ぞろい。
さっそく楽団に負けじと地元由来の踊りなどを披露して意地をみせ、諸将をさらに楽しませた。
曹操は上機嫌で、つねに何を見ても笑っていた。
明るい笑い声をあげつづける曹操につられるように、重臣たち、腹心たちもみな、美酒に酔っている。
張郃もまた、おおいに楽しんだものだが、まわりを観察することも忘れない。
となりにいる張遼は静かに微笑みつつ、ゆったりかまえて酒を飲んでいる。
曹仁と曹洪らは、舞姫たちや芸人たちを囃《はや》し立てて、子供のようにはしゃいでいた。
一方で虎痴将軍《こちしょうぐん》は、いっさい酒には手を触れず、曹操のそばに佇立《ちょりつ》している。
その曹操は、なにか盛り上がることがあるたびに、率先して声を立てて笑っている。
一方で、となりにいる劉琮は、なにを見てもにこりともしない。
どうあれ、城が落ちたことが悔しいのだろうか。
蔡瑁《さいぼう》とくらべれば、気骨《きこつ》があるほうなのか?
笑みを見せないのは、われらに対する、精一杯の抵抗のつもりなのだろうかとすら張郃は思ったが、見ているうち、その印象も変わった。
劉琮の意思のなさげな、人形のようなのっぺりした顔をみていると、何か違うような気もする。
いかにも育ちの良い美少年といったふうだが、曹操からはまるっきり無視されているのだ。
代わりに蔡瑁と張允《ちょういん》らが、曹操の酒の相手をしていた。
蔡瑁と張允は、必死なのがよく見て取れた。
誇りも矜持《きょうじ》もなにもなく、曹操に使えるだけのおべっかをすべて使っている、といったふうである。
曹操のほうはというと、やはり余裕があり、旧友との再会がうれしいらしく、おべっかとわかっていながらも、それを機嫌よく受け取っていた。
声高に曹操を褒めちぎる蔡瑁を見て、張郃は心底、吐き気がする思いだった。
ゴマすり男どもめ、と思ってしまうが、ほかの家臣たちは、かれらの態度にも知らん顔。
なれなれしい、図々しい。
そう思ってはいるだろうが、あまり顔に出さない。
たまりかねて、張郃はとなりの席に座る張遼にたずねる。
「劉表の病をよいことに、この荊州を骨抜きにしたのはやつらだろう。
ほかの者どもはともかく、なぜ丞相はやつらを斬らないのかな」
あまり感情的になり過ぎぬよう、声をおさえてそう聞くと、張遼は、ふむ、と短く返事をした。
かれは静かに杯を口に運んでいたが、やがて杯を置き、答えた。
「斬らない理由はあきらかだ。曹公はやつらの水軍を欲しているのだ。
これからさき、江東を制圧するには、水軍がどうしても必要となる。
だが、われらは北の人間。船をあつかう術にとぼしい」
張遼の言わんとすることを素早く察知し、張郃は納得した。
「つまり、利用できるものは利用しようと」
「そういうことだ。やつらを始末するのはいつでもできる。
だが、始末してしまえば、荊州の水軍を束ねられる者がいなくなってしまう。
そこで仕方なく、やつらを生かしているというわけさ」
「では、われらが連中の技を盗み、水軍を利用できるようになれば」
「言わずもがな、だな。連中は用済みだ」
なるほどと腑《ふ》に落ちたものの、蔡瑁らの平身低頭の情けない姿を見ていると、やはりむかむかした。
なんでこれほどにイライラするのだろうと考えて、すぐに理由が見つかった。
かつて袁紹軍から曹操軍にくだったときの自分も、あんなふうだったかもしれないと考えてしまうからだ。
いや、おれはもっとしっかりしていた、と思うのだが、わからない。
張郃も、生き残るために必死だった。
淳于瓊《じゅんうけい》のようになりたくない一心だったから、はたから見れば、あんなふうにおべっかと賛辞の嵐を曹操に浴びせて、命乞いをしているように見えたかもしれなかった。
なんだか気分がしらけてきて、張郃は厠《かわや》に行くといって、席を立った。
つづく
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そして、昨日のブログ開設6000日記念に、たくさんの方においでいただきました!
ブログ村とブログランキングにも投票してくださって、ありがとうございます!(^^)!
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うれしいです、ほんとうに……!
みなさまの応援のおかげで、さまざまなことにチャレンジできていますv
今後もがんばりますので、引き続き応援していただけるとうれしいです(*^-^*)
さて、そろそろ「設定集」のほうも動かそうかと思案中。
原稿ができあがり、準備がととのったら、またお知らせしますね(^^♪
次回は「趙雲」の予定です(やり直しの「趙雲」です)。
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ではでは、また次回もおたのしみにー(*^▽^*)