はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

風の終わる場所 19

2021年04月18日 09時56分01秒 | 風の終わる場所


「どうやら成功しましたね。あの狼、おそらく呉の芝蘭のものでしょうが、ここでも手助けをしてくれるとは」
「これからどうする。村に入ったら最後、おそらく連中、出すつもりはあるまい」
「それはそうでしょう。ただし、最初はわたしに襲い掛かってくるだろうから、将軍は、隙を見計らって、連中を倒してください。ところで、渡した鼓は、ちゃんと打てるのでしょうね」
「俺に聞くか? 無理だ」
「おやおや、常山真定の趙家にはみやびの趣味はなかったと見える。万が一、なにか芸を披露しろといわれたときは、うまく誤魔化してくださいませよ」
「あいにくと、武の気風のつよい家でな。芸事はさっぱりだ。歌も唄えぬ」
「わたしが足を大きく踏み鳴らしたら、あわせて、ぽん、と叩けばよろしい。あとは判断にお任せします」






「わたしは、どこへ向かっているのだ?」
息をぜいぜいと切らしつつ、孔明が尋ねると、芝蘭は、あちらです、といって、さらに鬱蒼とした森を示す。
そこには樹齢百年を越すであろう大木があり、ひときわ異彩を放っている。
「こちら。声を立てないで」
と、芝蘭はてきぱきと孔明に言うと、大木の根元に屈んで、こんこんと、その木を叩く。
すると、おどろいたことに、木の内側より同じく、こんこんと音が返ってきた。
「村が使えなくなってしまったので、ここがわたしたちの仮の宿りです。ようこそ、軍師将軍。歓迎いたします」
芝蘭はそう言うと、ぱっと開いた大木の雨露を見せる。
中は空洞になっており、さらに、根元から深く掘り下げられ、大木のちょうど真下にある天然の洞窟につながっているのだ。
垂れ下がる根に注意しながら梯子を降りると、中には数人の細作とおぼしき者たちの姿があった。
孔明の姿を見て、かれらは狭いなか、立ち上がり、作法どおりの拱手をする。

芝蘭もそれにならって、あらためて孔明に拱手をした。
「軍師将軍、諸葛孔明さま」
「いかにも。そなたたちは、呉の細作であろう。なぜ、わたしを助ける」
「われらがお助けするのは、あなたさまのみ。魏の思惑を、我らは掴んでおります。劉左将軍の隠し種を帝位につけて、無血のまま蜀を併呑し、勢いで呉を攻める、という策略でございましょう。
そのためには、あなたさまは邪魔になる。ほかならぬ、劉括という子供の母親の仇。そのうえ劉左将軍は、あなたさまをじつの息子のようにおもわれていなさる。あなたさまが蜀にありつづけるかぎり、かれらは野望を達成できない」

孔明は、芝蘭たちもまた、曹丕と陳羣らが弄した策の、うわべだけに踊らされていることを知った。
じわじわと曹家が、劉氏よりうばったものを、いまになって、たやすく手放すはずはない。
かれらは、大掛かりな嘘を仕掛けて孔明を追いつめ、味方に組み入れようとしたのだ。
嘘があまりに大掛かり過ぎるため、孔明もそれを見破ることが遅れたのだ。
だが、果たしてこの事実を、呉の細作たちに洩らしてよいものか。
かれらは確かに命の恩人ではあるが、敵である事実はうごかせない。

「自分たちを守るために、おまえたちはわたしを助けた、ということだな」
「左様でございますわ。ご同行なさっていた、小男のほうは、残念でございましたが」
追っ手の目的が、ほかならぬ、小男のほうだと知ったら、この娘と、そして仲間たちはどうおもうかな、と孔明はおもった。
細作たちは、どれもみな若い。
二十前後、偉度と同じくらいであろう。
あのとき、義陽の村であらかた子供たちを救い出し、ある者は故郷へ、ある者はそのまま手元に置いて大切にあつかってきた。
だが、この子供たちは、いち早く『村』あるいは樊城から江東へ向かっていた子供たちなのであろうか。
わが手からこぼれた子供たち。
そうおもった途端、孔明はかれらを他人とはおもえなくなった。

芝蘭は、かたわらにいる大きな銀の毛並みの山犬を撫でながら、孔明に言った。
「ご安心くださいませ。われらが主は、孔明さまをお助けし、かならず巴蜀へお返しせよとおおせでございます。万が一、あなたさまを狙い、刺客が追ってくるといけないので、成都までかならず無傷でお返しせよ、と」
「つまり、わたしは魏に対する呉の盾、というわけだね」
左様でございます、とその場にいた細作たちが頭を下げた。
「老婆心ながら申し上げますと、費将軍と李将軍には、ここに軍師将軍がいらっしゃることを悟られないほうが、よろしいかとおもわれます」
「なぜだね」
「あのお二方は、盗賊を一網打尽にし、大手柄を立てようと、着々と策を進めてらっしゃるのです。そこへ、あなたさまが顔を出されたら、おそらくお二人は、手柄を横取りされるのではと勘違いをし、あなたさまに害を為すやもしれませぬ」
「待て待て、そのようなことがあるか」
と、孔明は、芝蘭の言葉を留めた。
「李将軍が、中央復帰を狙い、大手柄を目指しているのは、わたしも把握している。だが、わたしがそこに現れたというだけで、恐慌に陥るような、小心者ではないぞ」
すると芝蘭は、あきれたような顔をして、首を振った。
「お人よしの軍師将軍さま、あなたさまは策士であるはずなのに、策士のこころをご存じない。李将軍は、あちこちに保険をかけてらっしゃいます。もしも盗賊を抑えることができなかったら、そのまま魏か呉に降るための手を打たれておいでですわ」
「まことか?」
「盗賊を鎮圧できたら、中央へ華々しく帰還。失敗したらそのまま他国へ逐電。いまの世では、めずらしい処世ではございませんわ。広漢の地がいくら広いとはいえ、こうもわれらの動きを、李将軍が気づかれなかったというのは、おかしな話ではございませぬか」
「そうだ、そもそも、それがおかしい」

広漢を賊が荒らしまわったのは、そもそも広漢を無法地帯にし、曹丕ら精鋭の兵たちが隠密に侵入するのをたやすくするための策の一部であった。
それを抑えるために、李巌は広漢に派遣されたのであるが、大手柄を狙って動かない。
いや、ほんとうにそれだけの理由で動かないのか。
曹丕は、李巌が動かないほうが得策だと手紙を書いて、動きを牽制したのだと言っていたが、李巌が動かなかった理由は、ほんとうにそれだけか。
そも、曹丕を襲い、連れ去った連中は、何者だ? 
曹丕の弟たちなのだろうか?

「芝蘭よ、おまえを偉度の妹として尋ねる。そなたから見て、さきほど我らを襲った者は、何者であったかわかるであろうか」
孔明の質問が意外であったのか、芝蘭は、慎重な娘らしく、じっとかんがえているようであった。
が、やがて、孔明の目をまっすぐと見据えて言った。
「おっしゃることの意味がわかりません」
偉度もそうであったが、壷中の子供たちというのは、相対するときに、全神経を研ぎ澄まさせて対さなければ、気圧されてしまうほどの迫力を持っている。
偉度は最たるものであるが、この娘もおなじ係累のようである。
呉の細作であるのが惜しい。
文偉が惚れるのもわかるな、とおもいつつ、孔明は、慎重に言葉を選びつつ、言った。
「包み隠さずそなたたちには打ち明けよう。先刻、わたしと逃げていた小男。あれは、ほかならぬ、魏王の長子・曹丕であったのだ」
狭い急ごしらえの地下は熱い。
そのなかにひしめく細作たちに、緊張が走ったのがわかった。
「嘘ではない。事のカラクリを、すべて明かそうではないか」
そうして、孔明は、呉の細作たちに、曹丕の策の真実を、ひとつひとつ明らかにしていった。

つづく……

(初出 旧サイト・はさみの世界(現・はさみのなかまのホームページ) 2005/07/22) 


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