蔡瑁が執拗に残念がる理由をいぶかしむ隙をあたえず、潘季鵬《はんきほう》らは孔明を押し込むようにして劉表の部屋へと入れた。
孔明は、たった一人にされたことにうろたえつつも、中の部屋を見回した。
奇妙な部屋であった。
天井から大きな布が、船の帆のようにふくらみをもたせて、幾重にも吊り下げられている。
それぞれが淡い色彩をもつ布は、白波のように、交互に吊り下げられているために、 部屋の全体を見渡すことが難しい。
それどころか、ふと手伸ばした先さえも、すぐに布に邪魔をされてしまうので、向かう先になにがあるのか、行って見なければわからない、といった有り様だ。
そしてこの空気。
甘ったるい、爛《ただ》れた果実のような、深く吸い込むと、吐き気を催すような、嫌な空気だ。
おそらく、ろくに換気をしていないのだろう。
そのうえ、幾重にも吊り下げられた布が、かえって通風を邪魔しているのである。
「腐肉《ふにく》でも隠しているのではないか」
孔明はだれも見えない部屋に向かって、憎まれ口を叩いてみる。
あくまで平素の高慢な態度を崩さずにいるが、じつは怖くてたまらない。
ふと気を抜いた瞬間に、弱気に崩れて、扉にすがって、開けてくれと懇願してしまうかもしれない。
それでも冷静な矜持《きょうじ》を保っていられたのは、意地と怒りゆえである。
たとえどんな目に遭おうとも、『壷中』の総元締めたる人物に会わねばならない。
暴力に拠《よ》らず、策謀に拠《よ》らず、真正面から堂々と、叔父がそうしたように、自分もおなじく、たとえ周囲に味方がいなかろうと、たった一人でも義を通すのだ。
『壷中』は当初、戦乱に巻き込まれ、親を亡くした子供たちを育てるために作られたものであった。
諸葛玄はその構想に夢中になり、おおくの人を巻き込んで『壷中』の設立に尽力した。
しかし『壷中』は、諸葛玄が豫章にいっているあいだに、変貌してしまった。
諸葛玄は後悔したにちがいない。
だれも味方がいない中で、たった一人、殺されるかもしれないと判っていながら、それでも異議を唱えたのは、なぜだったのか。
決まっている。
正義を通すためだったのだ。
孔明は波のように天井からぶら下がり揺れる帆のなか、慎重に歩みを進めた。
だが、数歩もいかないうちに、やはり天井から吊り下がっている飾り物にぶつかった。
それはてのひらほどの大きさの光沢のある貝が、ほぼ同じ形と大きさに整えられて数珠繋ぎになっているものであった。
爪でつつくと、からからと乾いた音を立てる仕組みになっている。
あらためて部屋を見回すと、それは布と同じく、あちらこちらにぶら下げられているらしい。
貝は白蝶貝だ。
玉にも勝る美しさゆえに、高値で取引される白蝶貝のなかでも、かなり上等なもののようである。
それにしても数が多すぎる。
布の大きさはそれぞれ小船の帆ほどはあるのだが、その両端に、それぞれ白蝶貝の 飾りがぶらさげられており、布を避けるのも、飾りを鳴らさずに歩くのも、かなりの注意を要するのである。
人から見えない部屋。
つまり、人から隠れることができる部屋。
誰から? 曹操か?
潘季鵬が、襄陽城の『壺中』に知られずに、叛乱に成功しているのは、そもそも、総元締めたる人物が、こんなところに隠れて、外界から孤絶したところにいるからだ。
しかし奇妙な話ではある。
『壷中』は暗殺者集団であると同時に、情報収集を司っている集団でもある。
情報は常に、開けたところに集うのだ。
じっと閉じこもっていては、公孫瓚の二の舞になる。
この部屋の主は、そんなことにも気付かないような、ばか者ではなかったはずだ。
何か、隠れねばならない理由が、ほかにあるのか?
考えていると、不意に人の気配に気づいた。
いつの間にか、音もなく、少女が立っていた。
思わずうしろにしりぞくと、傍らの白蝶貝の飾りにぶつかり、からからと音が部屋に響いた。
十五、六歳ほどの、小柄な少女であった。
おそらく益州から仕入れたであろう色鮮やかな錦を身にまとい、複雑に編みこんだ黒髪には、銀と輝石が惜しみなく使われた、精巧な簪《かんざし》が、きらきらと輝きを放っている。
テンのような大きな眼をした、青白い肌の美少女だ。
少女は何も言わずに、じっとその大きな黒目がちの瞳で孔明を見上げている。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、どうもありがとうございます(*^▽^*)
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、いつも感謝です、うれしいです♪
応援してくださる方がいるおかげで、生活に張りが出ています。
ともすると怠惰に流れがちなんですが、奮い立たされます…!
まだまだできる! これからも精進してまいります。
一気に冷えてきましたので、みなさまご自愛くださいね、ではでは(^^♪
孔明は、たった一人にされたことにうろたえつつも、中の部屋を見回した。
奇妙な部屋であった。
天井から大きな布が、船の帆のようにふくらみをもたせて、幾重にも吊り下げられている。
それぞれが淡い色彩をもつ布は、白波のように、交互に吊り下げられているために、 部屋の全体を見渡すことが難しい。
それどころか、ふと手伸ばした先さえも、すぐに布に邪魔をされてしまうので、向かう先になにがあるのか、行って見なければわからない、といった有り様だ。
そしてこの空気。
甘ったるい、爛《ただ》れた果実のような、深く吸い込むと、吐き気を催すような、嫌な空気だ。
おそらく、ろくに換気をしていないのだろう。
そのうえ、幾重にも吊り下げられた布が、かえって通風を邪魔しているのである。
「腐肉《ふにく》でも隠しているのではないか」
孔明はだれも見えない部屋に向かって、憎まれ口を叩いてみる。
あくまで平素の高慢な態度を崩さずにいるが、じつは怖くてたまらない。
ふと気を抜いた瞬間に、弱気に崩れて、扉にすがって、開けてくれと懇願してしまうかもしれない。
それでも冷静な矜持《きょうじ》を保っていられたのは、意地と怒りゆえである。
たとえどんな目に遭おうとも、『壷中』の総元締めたる人物に会わねばならない。
暴力に拠《よ》らず、策謀に拠《よ》らず、真正面から堂々と、叔父がそうしたように、自分もおなじく、たとえ周囲に味方がいなかろうと、たった一人でも義を通すのだ。
『壷中』は当初、戦乱に巻き込まれ、親を亡くした子供たちを育てるために作られたものであった。
諸葛玄はその構想に夢中になり、おおくの人を巻き込んで『壷中』の設立に尽力した。
しかし『壷中』は、諸葛玄が豫章にいっているあいだに、変貌してしまった。
諸葛玄は後悔したにちがいない。
だれも味方がいない中で、たった一人、殺されるかもしれないと判っていながら、それでも異議を唱えたのは、なぜだったのか。
決まっている。
正義を通すためだったのだ。
孔明は波のように天井からぶら下がり揺れる帆のなか、慎重に歩みを進めた。
だが、数歩もいかないうちに、やはり天井から吊り下がっている飾り物にぶつかった。
それはてのひらほどの大きさの光沢のある貝が、ほぼ同じ形と大きさに整えられて数珠繋ぎになっているものであった。
爪でつつくと、からからと乾いた音を立てる仕組みになっている。
あらためて部屋を見回すと、それは布と同じく、あちらこちらにぶら下げられているらしい。
貝は白蝶貝だ。
玉にも勝る美しさゆえに、高値で取引される白蝶貝のなかでも、かなり上等なもののようである。
それにしても数が多すぎる。
布の大きさはそれぞれ小船の帆ほどはあるのだが、その両端に、それぞれ白蝶貝の 飾りがぶらさげられており、布を避けるのも、飾りを鳴らさずに歩くのも、かなりの注意を要するのである。
人から見えない部屋。
つまり、人から隠れることができる部屋。
誰から? 曹操か?
潘季鵬が、襄陽城の『壺中』に知られずに、叛乱に成功しているのは、そもそも、総元締めたる人物が、こんなところに隠れて、外界から孤絶したところにいるからだ。
しかし奇妙な話ではある。
『壷中』は暗殺者集団であると同時に、情報収集を司っている集団でもある。
情報は常に、開けたところに集うのだ。
じっと閉じこもっていては、公孫瓚の二の舞になる。
この部屋の主は、そんなことにも気付かないような、ばか者ではなかったはずだ。
何か、隠れねばならない理由が、ほかにあるのか?
考えていると、不意に人の気配に気づいた。
いつの間にか、音もなく、少女が立っていた。
思わずうしろにしりぞくと、傍らの白蝶貝の飾りにぶつかり、からからと音が部屋に響いた。
十五、六歳ほどの、小柄な少女であった。
おそらく益州から仕入れたであろう色鮮やかな錦を身にまとい、複雑に編みこんだ黒髪には、銀と輝石が惜しみなく使われた、精巧な簪《かんざし》が、きらきらと輝きを放っている。
テンのような大きな眼をした、青白い肌の美少女だ。
少女は何も言わずに、じっとその大きな黒目がちの瞳で孔明を見上げている。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、どうもありがとうございます(*^▽^*)
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、いつも感謝です、うれしいです♪
応援してくださる方がいるおかげで、生活に張りが出ています。
ともすると怠惰に流れがちなんですが、奮い立たされます…!
まだまだできる! これからも精進してまいります。
一気に冷えてきましたので、みなさまご自愛くださいね、ではでは(^^♪