※
丸くてごつい岩のような宋章《そうしょう》とのっぽで細いねぎのような羅仙《らせん》は、趙雲と胡済《こさい》が酒と肴《さかな》を持ってくると、たちまち目を輝かせた。
「おれたちなんかに差し入れしてくださるとは、なんて寛大な方々なんだ」
と、おおげさに宋章が感激する。
羅仙もまた、杯に酒をつぐ胡済の流麗な動作に目を白黒させていた。
「差し入れしてくださるだけじゃなく、いっしょに呑んでくださるので?」
「もちろんだ。どうせ暇だし、軍師と子瑜どのも、それぞれ盛り上がっているだろうしな。
おれたちはおれたちで、たのしくやろうではないか」
趙雲が言って、ふたりに杯をすすめると、まだ一口も呑んでいないうちから、かれらはほほを赤くして、
「ありがたい、ありがたい」
と恐縮して首をすくめた。
趙雲は、この気のいいふたりを気に入った。
「明日は盧江《ろこう》へ出立ですって?」
胡済が水を向けると、はい、と羅仙のほうが答えた。
「聞いた話じゃ、曹操の軍にそなえて、おれたちの軍の十万のうち、三万は北に備えなければいけないってことです。
おれたちには難しいことはわかりませんが、曹操は西と北からおれたちを狙っているんだ」
「挟撃しようというわけだな」
趙雲が言うと、二人は素直にこくりとうなずいた。
そして、宋章のほうが低い声で言う。
「周公瑾さまが討伐した山越《さんえつ》も、またこの機に乗じて騒ぎを起こそうとしている、なんて噂もながれてますぜ」
山越は、もともと、この江東の地に住んでいた民族である。
漢王朝の屋台骨が揺らぎ、漢人がおおくこの地に流れ込んできたことで、先住民たる山越はどんどん条件の悪い土地へ追いやられて行っている。
この動きに反抗する者はたちまち斬られ、抵抗をやめた者は重い役につかされ、こき使われるというのだから、これでは騒ぎを起こさんとするのは当然だった。
そして、この孫権の背後を騒がす勢力を見逃す曹操ではない。
山越の指導者と連絡をとって、反乱を起こすよう知恵を授けたりしているらしい。
「曹操っていう男は、いやなやつですなあ」
と、宋章はしみじみ言った。
「あなたがたは、揚州の出身なのですか」
胡済の問いに、二人は答える。
「おれは徐州です。羅仙が会稽《かいけい》の出身です」
「おまえたちの主人の子瑜どのは、どんなお方だ」
「そりゃあもう、いいご主人さまですよ」
宋章と羅仙はくちぐちに言ってうなずいた。
「おれたちのようなものにも優しくしてくださいます。
よその主人のように、気に入らないと鞭で打つなんてこともしないし」
「ご家族をとても大切にしてらっしゃいますよ」
「奥方とのあいだにはお子は何人いるのだ?」
「男のお子様がふたりと、女のお子様がひとり。
あと、ご主人様のお義母さまと義妹《いもうと》さまがいっしょに暮してらっしゃいます」
「ほう」
諸葛瑾が父の後妻をつれて江東にくだっていった話は、孔明から聞いたことがある。
すでに亡くなっている大姉という女性と、義母の折り合いが非常に悪く、仕方なく別れ別れになったと聞いていた。
「子瑜さまは孔明さまのことも、以前からとても心配なさっておいででした。
なにかにつけ、亮は荊州でうまくやっているだろうかと口にしておられました」
「その亮さま……孔明さまが劉豫洲といっしょに曹操に追われて消息不明になったときなんざ、お食事もろくにのどに通らないようすでした。
それが孔明さまが生き延びて、お使者となって柴桑《さいそう》に来られたんですから、そりゃあもう、喜んでいらっしゃいましたよ」
そのときの諸葛瑾のよろこびようを思い出したのか、宋章と羅仙は、歯を見せて笑った。
「おれも柴桑城に行ったのだが、子瑜どのもいたのかな」
趙雲は、孔明が孫権を説得した日のことを思いだしつつ問う。
「もちろんでさ。子瑜さまはちゃんとあの場にいらしておいででしたよ。
ただ、常日頃から、公の場では兄弟ふたりで会わないようにしようと決めているとおっしゃっているので、それでわざと目立たないようにしたのかもしれませんなあ」
奥ゆかしい御方なんですよ、と羅仙が言う。
どうやら、この凸凹した二人組は、よほど諸葛瑾のことが好きらしい。
「琳瑯《りんろう》さまも兄君にお会いしたいとおっしゃっていたなあ」
酒をちびちびやりながら、羅仙がつぶやくと、宋章も、そうだったなあ、と相槌を打った。
「琳瑯というのは?」
胡済が水を向けると、宋章が答えた。
「子瑜さまの義妹さまです。
もうお年頃なのですが、たいそうなお転婆娘でしてねえ、今日も付いていきたいと駄々をこねてらっしゃいましたが、子瑜さまに叱られて、お留守番ですよ」
「へえ、その琳瑯どのも柴桑にいるのですか」
「兄君に付いてきてしまいましてね。
天下の趨勢《すうせい》が決まるかもしれないこの状況で家にじっとしていられるか、なんて男のようなことをおっしゃって」
「琳瑯さまは、生まれる性別をまちがえてしまわれたな」
そういって、宋章と羅仙は愉快そうに笑った。
「ところで、趙子龍さまですよね?」
宋章が、うかがうように趙雲を見る。
「そうだが、なにか」
「ああ、やっぱりなあ、そうだと思った! 同姓同名の方がそうそういるもんじゃなし。
なあ、羅仙、やっぱりこの御方だったよ」
「そうだなあ、本人を目の前にして酒を飲めるなんて、おどろきだ」
「想像していた以上の男前ですね。
講談を聞いて、こんな御方かな、と想像していましたが、それ以上だ!」
「そうだよなあ、講談の主人公が目の前にいるなんて、すごいよなあ」
目を輝かせて言うふたりに、趙雲はあわててたずねる。
「待て、講談? どういうことだ?」
「あれ、ご存じない? いま柴桑の街では曹操をへこませた劉豫洲のご家来の武勇伝が講談になっているのです。
魯子敬さまの手紙がもとになっているのですよ。
劉豫洲とその将軍がたが、どれほど長阪橋で活躍されたか、もうみんな知っていますぜ」
「なんと」
唖然とする趙雲のとなりで、胡済が袖で口を隠して、くすくす笑っている。
「よかったら、お話してくださいませんかね、曹操の従弟の夏侯恩から宝剣を奪ったときのこととか?」
「百万の騎兵のなかを、劉豫洲の御子息を抱えて走り抜けたって、ほんとうですかい?」
「それから、張益徳さまが一喝したら、曹操の将軍の夏侯傑ってやつが肝をつぶして死んだっていうのも、ほんとうですか?」
なんだかいろいろ脚色されて、とんでもないことになっていると焦りながら、趙雲はとつとつと二人の質問に答えた。
宋章と羅仙は、『本当の話』におどろいたり、がっかりしたり、いそがしい。
となりの胡済はにやにや笑って聞いているだけで、趙雲に助け舟は出してくれない。
そうこうしているうちに、夜も更《ふ》け、酒が回りに回って、まず胡済が船をこぎ始めた。
つづいて羅仙が、そして宋章が寝入ってしまった。
客館の主人に言って、三人の体が冷えないよう布団をかけてやり、趙雲自身は厠《かわや》に行きがてら孔明の様子を見に行った。
孔明と諸葛瑾はにぎやかに話し込んでいる。
断片的に聞こえてくる単語からつなげると、天下の情勢についての事柄ではなく、家族についての思い出話をしているようだった。
厠から帰ってきても、兄弟の話は尽きることがないようだ。
徹夜になりそうなので、孔明たちに異変があったらいつでも駆け付けられるよう、そのとなりに部屋を作ってもらって、そこで眠ることにした。
孔明と諸葛瑾の声を子守歌にうとうとしているうちに、気づけば、朝になっていた。
つづく
丸くてごつい岩のような宋章《そうしょう》とのっぽで細いねぎのような羅仙《らせん》は、趙雲と胡済《こさい》が酒と肴《さかな》を持ってくると、たちまち目を輝かせた。
「おれたちなんかに差し入れしてくださるとは、なんて寛大な方々なんだ」
と、おおげさに宋章が感激する。
羅仙もまた、杯に酒をつぐ胡済の流麗な動作に目を白黒させていた。
「差し入れしてくださるだけじゃなく、いっしょに呑んでくださるので?」
「もちろんだ。どうせ暇だし、軍師と子瑜どのも、それぞれ盛り上がっているだろうしな。
おれたちはおれたちで、たのしくやろうではないか」
趙雲が言って、ふたりに杯をすすめると、まだ一口も呑んでいないうちから、かれらはほほを赤くして、
「ありがたい、ありがたい」
と恐縮して首をすくめた。
趙雲は、この気のいいふたりを気に入った。
「明日は盧江《ろこう》へ出立ですって?」
胡済が水を向けると、はい、と羅仙のほうが答えた。
「聞いた話じゃ、曹操の軍にそなえて、おれたちの軍の十万のうち、三万は北に備えなければいけないってことです。
おれたちには難しいことはわかりませんが、曹操は西と北からおれたちを狙っているんだ」
「挟撃しようというわけだな」
趙雲が言うと、二人は素直にこくりとうなずいた。
そして、宋章のほうが低い声で言う。
「周公瑾さまが討伐した山越《さんえつ》も、またこの機に乗じて騒ぎを起こそうとしている、なんて噂もながれてますぜ」
山越は、もともと、この江東の地に住んでいた民族である。
漢王朝の屋台骨が揺らぎ、漢人がおおくこの地に流れ込んできたことで、先住民たる山越はどんどん条件の悪い土地へ追いやられて行っている。
この動きに反抗する者はたちまち斬られ、抵抗をやめた者は重い役につかされ、こき使われるというのだから、これでは騒ぎを起こさんとするのは当然だった。
そして、この孫権の背後を騒がす勢力を見逃す曹操ではない。
山越の指導者と連絡をとって、反乱を起こすよう知恵を授けたりしているらしい。
「曹操っていう男は、いやなやつですなあ」
と、宋章はしみじみ言った。
「あなたがたは、揚州の出身なのですか」
胡済の問いに、二人は答える。
「おれは徐州です。羅仙が会稽《かいけい》の出身です」
「おまえたちの主人の子瑜どのは、どんなお方だ」
「そりゃあもう、いいご主人さまですよ」
宋章と羅仙はくちぐちに言ってうなずいた。
「おれたちのようなものにも優しくしてくださいます。
よその主人のように、気に入らないと鞭で打つなんてこともしないし」
「ご家族をとても大切にしてらっしゃいますよ」
「奥方とのあいだにはお子は何人いるのだ?」
「男のお子様がふたりと、女のお子様がひとり。
あと、ご主人様のお義母さまと義妹《いもうと》さまがいっしょに暮してらっしゃいます」
「ほう」
諸葛瑾が父の後妻をつれて江東にくだっていった話は、孔明から聞いたことがある。
すでに亡くなっている大姉という女性と、義母の折り合いが非常に悪く、仕方なく別れ別れになったと聞いていた。
「子瑜さまは孔明さまのことも、以前からとても心配なさっておいででした。
なにかにつけ、亮は荊州でうまくやっているだろうかと口にしておられました」
「その亮さま……孔明さまが劉豫洲といっしょに曹操に追われて消息不明になったときなんざ、お食事もろくにのどに通らないようすでした。
それが孔明さまが生き延びて、お使者となって柴桑《さいそう》に来られたんですから、そりゃあもう、喜んでいらっしゃいましたよ」
そのときの諸葛瑾のよろこびようを思い出したのか、宋章と羅仙は、歯を見せて笑った。
「おれも柴桑城に行ったのだが、子瑜どのもいたのかな」
趙雲は、孔明が孫権を説得した日のことを思いだしつつ問う。
「もちろんでさ。子瑜さまはちゃんとあの場にいらしておいででしたよ。
ただ、常日頃から、公の場では兄弟ふたりで会わないようにしようと決めているとおっしゃっているので、それでわざと目立たないようにしたのかもしれませんなあ」
奥ゆかしい御方なんですよ、と羅仙が言う。
どうやら、この凸凹した二人組は、よほど諸葛瑾のことが好きらしい。
「琳瑯《りんろう》さまも兄君にお会いしたいとおっしゃっていたなあ」
酒をちびちびやりながら、羅仙がつぶやくと、宋章も、そうだったなあ、と相槌を打った。
「琳瑯というのは?」
胡済が水を向けると、宋章が答えた。
「子瑜さまの義妹さまです。
もうお年頃なのですが、たいそうなお転婆娘でしてねえ、今日も付いていきたいと駄々をこねてらっしゃいましたが、子瑜さまに叱られて、お留守番ですよ」
「へえ、その琳瑯どのも柴桑にいるのですか」
「兄君に付いてきてしまいましてね。
天下の趨勢《すうせい》が決まるかもしれないこの状況で家にじっとしていられるか、なんて男のようなことをおっしゃって」
「琳瑯さまは、生まれる性別をまちがえてしまわれたな」
そういって、宋章と羅仙は愉快そうに笑った。
「ところで、趙子龍さまですよね?」
宋章が、うかがうように趙雲を見る。
「そうだが、なにか」
「ああ、やっぱりなあ、そうだと思った! 同姓同名の方がそうそういるもんじゃなし。
なあ、羅仙、やっぱりこの御方だったよ」
「そうだなあ、本人を目の前にして酒を飲めるなんて、おどろきだ」
「想像していた以上の男前ですね。
講談を聞いて、こんな御方かな、と想像していましたが、それ以上だ!」
「そうだよなあ、講談の主人公が目の前にいるなんて、すごいよなあ」
目を輝かせて言うふたりに、趙雲はあわててたずねる。
「待て、講談? どういうことだ?」
「あれ、ご存じない? いま柴桑の街では曹操をへこませた劉豫洲のご家来の武勇伝が講談になっているのです。
魯子敬さまの手紙がもとになっているのですよ。
劉豫洲とその将軍がたが、どれほど長阪橋で活躍されたか、もうみんな知っていますぜ」
「なんと」
唖然とする趙雲のとなりで、胡済が袖で口を隠して、くすくす笑っている。
「よかったら、お話してくださいませんかね、曹操の従弟の夏侯恩から宝剣を奪ったときのこととか?」
「百万の騎兵のなかを、劉豫洲の御子息を抱えて走り抜けたって、ほんとうですかい?」
「それから、張益徳さまが一喝したら、曹操の将軍の夏侯傑ってやつが肝をつぶして死んだっていうのも、ほんとうですか?」
なんだかいろいろ脚色されて、とんでもないことになっていると焦りながら、趙雲はとつとつと二人の質問に答えた。
宋章と羅仙は、『本当の話』におどろいたり、がっかりしたり、いそがしい。
となりの胡済はにやにや笑って聞いているだけで、趙雲に助け舟は出してくれない。
そうこうしているうちに、夜も更《ふ》け、酒が回りに回って、まず胡済が船をこぎ始めた。
つづいて羅仙が、そして宋章が寝入ってしまった。
客館の主人に言って、三人の体が冷えないよう布団をかけてやり、趙雲自身は厠《かわや》に行きがてら孔明の様子を見に行った。
孔明と諸葛瑾はにぎやかに話し込んでいる。
断片的に聞こえてくる単語からつなげると、天下の情勢についての事柄ではなく、家族についての思い出話をしているようだった。
厠から帰ってきても、兄弟の話は尽きることがないようだ。
徹夜になりそうなので、孔明たちに異変があったらいつでも駆け付けられるよう、そのとなりに部屋を作ってもらって、そこで眠ることにした。
孔明と諸葛瑾の声を子守歌にうとうとしているうちに、気づけば、朝になっていた。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!(^^)!
ブログ村に投票してくださった方も、ほんとうにありがとうございました!
毎日の励みになっております、これからもがんばります(^^♪
本日は、いつものほぼ倍の分量で更新しました。
キリのよさを考慮したのですが、「長すぎるんよ」と思われた場合は教えてくださいませv
元の分量に戻します。
それと、さすがに週3のペースの更新だと、目に見えてお客さんが減っていくなあと感じています。
家の状況もあるので、毎日は無理にしろ、せめて土日のどっちかを更新日にしようかと検討中です。
決まりましたら、また連絡しますねー!
ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)