■■■■■
帯とけの枕草子〔六十〕暁にかへらん人は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔六十〕暁にかへらん人は
暁にかへらん人は、さうぞくなどいみじううるはしう、ゑぼうしのお、もとゆひ、かためずもありなんとこそおぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、なをし、かりきぬなど、ゆがめたりとも、誰か見しりてわらひそしりもせん。
(暁に帰る人は、装束をとくに麗しくし、烏帽子の緒、髪の元結を、固く結ぶこともないのだと思う。かなり無造作で、無頓着に直衣、狩衣などゆがめていても、誰が見知って笑い謗ったりするでしょうか……暁に、繰り返そうとする男は、衣服をきっちり調えたり、え奉仕のお、元むすび堅めなくともいいのだと思う・又乱れるしお互い疲れているのだから、とってもしどけなく、かたくなになって、汝お子、かりきぬなど、ゆがんでいても、だれも見て、知っても笑ったりするか・しないよね)。
言の戯れと言の心
「暁…男が朝帰る頃…赤突き」「赤…元気色」「かへらん…帰ろうとする…元に返ろうとする…繰り返そうとする」「ゑぼうし…烏帽子…え棒子…ええおとこ…え奉仕」「かみ…髪…上…女」「かりきぬ…狩衣…かりするころも…かりする心身」「衣…心身の換喩」「しどけなく…無造作に…しどろもどろで」「かたくなしく…頑固で…言うこときかないさまで」「なをし…直衣…汝お子…その子の君」「見…覯…媾…まぐあい」。
男はやはり暁のありさまが、おかしいでしょう。
わけもなく、しぶしぶと起き難たそうなのを、強いてそそのかして、「明けてしまったわよ、あら見苦しい……果ててしまったのね、ああ見ぐるし」などと言われて、ちょっと嘆く気色も、実際、あかず(目も開かず…心も飽かず)もの憂いだろうと見える。
指貫なども、座ったままで着ようともせず、先ずさし寄って、夜言ったことの名残りを女の耳に言い入れて、何をするというのでもなさそだけれど、おひなどゆふ(帯など結う…感極まったこと言う)。格子押し上げ、つまとある所はやがてもろともにゐていきて(妻戸ある所はそのまま諸共に連れだって行って…つま門或るところはそのままもろ共に連れだって逝って)、昼間のものさみしいことなども言い出して、すべり出るなんてのは、見おくられて(見送られて…見て宮こへ送られて)、名残惜しさも、をかしかりなん(情緒あるでしょう…すばらしいかりでしょう)。
思い出す所があって、ぱっと起きて、がさがさと動きまわって、指貫の腰ごそごそと革紐は結び直し、上の衣も狩衣も袖をまくって、よろずのもの差し入れ、帯をたいそうに確りと結びおわって、きちんと座り、烏帽子の緒、きりりと強めに結んで、手で擦る音して、扇、畳み紙など、昨夜枕元に置いたのだが、ひとりでに引き離され散らばったのを求めるのに、暗かったのでどうして見当たるだろうか、どこだどこだと、叩きまわって見つけ出して、扇をはたはたと使い、懐紙差し入れて、「まかりなん(退出する)」とだけ言ったりもするでしょう(こんなのは不愉快ね)。
言の戯れと言の心
「おび…帯び…おひ…追い…感の極まり」「つまど…妻戸…ひらき戸…つま門…女」「ある所…或るところ…宮こ…絶頂」「見…覯…まぐあい」「かり…狩り…あさり、むさぼり」。
この文は、おとなの女たちが「そうよね」と微笑んで読めばいいのである。
壱千年隔たっていても、言葉を全て同じくさえすれば、今の人も微笑みながら読めるでしょうか。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による