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帯とけの枕草子〔七十〕しのびたる所
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔七十〕しのびたる所
忍び逢いしている所では、夏こそ、趣があることよ。はなはだ短い夜が明けてしまったので、露ねずなりぬ(少しも寝なかった…つゆ眠らず成った)。そのまま、よろづのところ(万の所…戸も襖も衣もすべてのところ)を開けひろげたままで居ると、涼しく見えわたされたる(涼しく辺りが見え広がっている…冷たく見えつづけられ垂る)。なほいますこしいふべきこと(なお少し言いたいこと…汝お少し情をかけたいこと)があって、お互い応えあったりしているときに、ただ居る真上より、からすのたかくなきていくこそ(からすが高い声で鳴いて行くのだけは…女が高い声で泣いて逝くのだけは)、あらわな心地しておかしいことよ。
また、冬の夜、ひどく寒いので、思う人と綿入れ衣に埋もれ寝て聞いていると、鐘の音が、ただほんの其処のように聞こえ、とっても趣がある。
鳥のこゑも、はじめははねのうちになくが、くちをこめながらなけば、いみじう物ふかくとほきが、明るままにちかくきこゆるも、をかし(鳥の声も、初めは羽の内で鳴くのが、口に込めて鳴くので、たいそう何だか深く遠いのが、明けるにつれて近く聞こえるのも趣がある……女の声も、初めは身を撥ねて泣くのが、口に込めて漏らすまいと泣くので、とっても深く、遠いが、ものの果てになるにつれて近く聞こえるのもおかしい)。
言の戯れと言の心
「露…すこし…白つゆ…おとこ」「いふ…言う…情けをかける」「鳥…女」「鳴…泣」「物ふかく…何だか深く」「遠く…低く」「けせう…顕証…はっきりと明らかなさま」「明く…飽く…ものの果てになる」「近く…高く…甲高く」。
寛平(889~897)の頃の大江千里の歌に、ほぼ同じ「鳥」を詠んだ歌が既にある。
なくとりのこゑたかくのみきこゆるは のこれるはなのえだをこふるか
(鳴く鳥の声が高いと聞こえるのは、残れる花の枝を恋しがっているのか……泣くひとの声高いと聞こえるのは、残りのお花を乞うているのか)
「鳥…女」「鳴く…泣く」「花…木の花…おとこ花」「枝…身の枝…おとこ」「恋ふ…乞ふ…求める」。
これらの言の戯れも変わらない。枕草子は大江千里の和歌とも同じ文脈にある。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による