帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔六十三〕草は

2011-05-07 00:10:11 | 古典

 



                                      帯とけの枕草子〔六十三〕草は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔六十三〕
草は

 
 草は、さうぶ、こも、あふひ、いとおかし。神代よりして、さるかざしと成りけん、いみじうめでたし。ものゝさまもいとおかし。

 (草は、菖蒲、菰、葵、とっても趣がある。神世より、あの挿頭となったのでしょう、たいそう愛でたい。そのものの様子も、とっても趣がある……女は、壮夫、来も、合う日、とってもすばらしい。神世よりして、あの、傘しと成ったのでしょう、たいそう愛でたい。ものの様も、とってもおかしい)。

 

 おもだか(おもだか草…面高女)は、名がおかしいのである、思い上がっているのだろうと思うから。

みくり(みくり草…身繰り女)。ひるむしろ(蛭むしろ…昼の敷物)。こけ(苔…虚仮女)。雪間の若草(雪の間の若い女…逝き間の若い女)。こたに(小谷…よき女)。かたばみ(かたばみ草…片食み女)、綾の紋にしてあるのも殊におもしろい。

 

あやふ草(あやう草…危うい女)は、岸の額に生まれるらしいのも、たしかに頼りない。いつまで草(いつまで草…何時まで女)は、またはかなく哀れである。岸の額(崖っぷち)よりも、これはくずれやすいでしょうよ。まことの石灰(漆喰塗りの壁…立派な邸宅)などには、生まれることがてきないのではと思えるのがわるい。

 

ことなし草(ことなし草…こと成し女)は、思う事を成すのかなと思えるのもおかしい。忍ぶぐさ(忍草…しのぶ女)とっても哀れである。みち芝(道芝…路柴女)、とってもおかしい。つばな(茅花…つはり女)もおかしい。よもぎ(蓬…荒廃女)とっても興味深い。

 

山すげ(山菅…山のようなす毛)、日かげ(日陰草…日陰女)、山あゐ(山藍…山ば合い)、はまゆふ(浜木綿…端間結う)、くず(葛…屑)、さゝ(笹…細め)、あおつゞら(青葛篭…吾お九十九)、なづな(なづ菜…撫づ汝)、なへ(なえ…萎え女)、あさぢ(浅茅…浅路女)、とってもおかしい。

 

はちす(蓮…恥す)は、よろづの草よりも優れて愛でたい。妙法蓮華の喩えにも、花は仏に奉り、実はずず(数珠)に貫き、念仏して往生極楽の縁とするからよ。また、花なき頃、みどり色の池の水に紅色に咲いているのも、とっても風情がある。「翠翁紅」とも、詩に作られてあるし。
 

唐葵、日の光(日のあたる方…男の威光)に従ってその方に向くのは、草木というべきでもない心である。さしも草(もぐさ…くすぶる女)。やへむぐら(八重葎…ひどい棘ある女)。月草(染料にするつゆ草…月のものある女)、うつろひやすなるこそうたてあれ(色褪せやすいのがいやである…色移りしやすいのがいやである)。

 


 言の戯れと言の心

「かざし…頭挿し…かさし…傘し…下さし」「し…士…子…おとこ」「こけ…苔…虚仮…空虚な」「かたばみ…片食み…片嵌み…中途半端なまぐあい」「みち…路…言の心は女」「芝…柴…雑木」「あお…青…吾男…わがおとこ」「つづら…九十九歳…九十九人…九十九回折る」「す…洲…おんな」「緑なる池水に紅に咲きたる…紅一点…翠翁紅…青緑の羽の鳥の頚の紅色…紅一点」「翠…かわせみ…みどり色」「翁…鳥の頚の羽」。

 

 
 草の「言の心」は
神代より女。「古事記」によれば、沼河ひめは自らを「ぬえ草のめ」、須勢理ひめは「若草の妻」と歌った。その時すでに草は女という意味を孕んでいた。

 

和歌は同じ「言の心」で詠まれてある。紀貫之は古今集仮名序の結びで、「言の心を心得る人は、古今の歌を仰ぎ見て、恋しくなるだろう」と言った。「枕草子」も言の心を心得て読めば「いとをかし」に共感できるでしょう。 


 草の名毎にそれぞれ戯れの意味が生まれる。それは「聞き耳」によって多少異なるけれども、女の有様であることには変わりないので、おとなならば、ほぼ同じ意味に聞こえるでしょう。

 
 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)


 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による