帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔六十七〕覚束なきもの

2011-05-11 00:09:15 | 古典

 



                               帯とけの枕草子〔六十七〕覚束なきもの



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔六十七〕覚束なきもの

 
 覚束なきもの

 十二年の山ごもりのほうしのめおや。

 しらぬ所に、やみなるにいきたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがになみいたる。

 いまいできたる物の、心もしらぬに、やんごとなき物もたせて人のもとにやりたるに、をそくかへる。

 物もまだいはぬちごの、そりくつがえり、人にもいだかれずなきたる。

 

 清げな姿

 おぼつかなきもの(不安な情況)

十二年の山篭り(修行中)の法師の女親。

知らない所に闇夜に行ったときに、目立つということで火も灯さないで、それでもやはり、連なって座って居る。

新参者の心も知らないのに、貴重品持たせて、人のもとへ使いにやったのに遅く帰る。

ものもまだ言わない乳児が反っくり返って人にも抱かれず泣いている。

 

 心におかしきところ

覚束なきもの(頼りないもの)

十二分の念の山ばの、小盛りの、男の・ほ伏しの、女でしょうかね。

しらぬところに、むやみに逝って、露見するなあと思って、情の火もやさずそれでもやはり、汝身射垂る。

今出てきた物の心も知らずに、男親は・やむこと無き物維持して、女のもとへ遣ったところが、お、即、帰る。

効き目もまだ発揮しない子の君が、反り返り・元にもどって、女にも抱かれず、汝身唾流し、垂る。



 言の戯れの意味

「十二年…永年…十二分の念」「年…念…思い」「山ごもり…山籠もり…山小盛…やまばの小さな盛り上がり」「ほうし…ほふし…法師…ほ伏し…お憂し」「ほ…お…おとこ」「めおや…女親…めの親…女」「をや…親…だかなあ…だろうなあ」。

「しらぬ…知らぬ…馴れていない…汁らぬ」「ところ…所…相手…女」「やみ…闇…やみくも…わからぬまま」「いきたる…行きたる…逝きたる…逝き垂れる」「ひ…火…情熱の炎」「なみいたる…並んで居る…汝身射垂る…お前の身射て垂れる」。

「いまいできたる物…新参者…いま他人の世界から出てきた子の君」「やんごとなき…貴重な…止むことなき」「おそくかえる…遅く帰る…お即かへる…おとこ直に帰る」。

「ものもいはぬ…ものも言わぬ…効果も無い」「ちご…幼児…子の君…おとこ」「そり…反り…張りつめ…弓反り返り」「くつがえる…くり返る…覆る…元に戻る」「人…女」「泣く…おとこ汝身唾を流す」「たる…である…垂る…垂れる」。


 
紫式部が批判したように、清少納言こそは、得意顔して、いみじう(著しく…ひどく)侍る人でしょう。また、枕草子は、あだな(婀娜な・徒な…女らしいしなやかさはある・いいかげんで無駄な)文芸でしょう。

伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず  (2015・8月、改定しました)


 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による