帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十〕里にまかでたるに

2011-05-27 00:15:47 | 古典

   



                                        帯とけの枕草子〔八十〕里にまかでたるに
 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」
のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。 



 清少納言 枕草子〔八十〕里にまかでたるに
 

 
 里に退出したときに、殿上人などが来るのをも、穏やかなことではないように里の人々は言うのである。いとうしむに(とっても有心に…ひどく好色な心が有って)引き入れてるおぼえはさらさらないのだから、そのように言われるのは煩わしいでしょう。また、昼も夜にも来る人を、どうして「なし(いない)」と、恥かかせて帰すのでしょう、たいして睦ましくない者もそうして来るだろうに。 

 あまりうるさくもあれば(里人が・あまりにもうるさいので…斉信が・あまりにひつこいので)、このたび退出した住処をば、どことも皆には知らせず、左中将経房の君、済政の君などだけは知っておられる。左衛門の尉則光が来て話をしていると、「きのう宰相の中将(斉信)がまいられて、『いもうとの居る所、まさか知らないようなことはないはず、言え』と、しつこく問われるので、ぜんぜん知らないと申したのに、無理強いされたのよ」などと言って、「あることをなしと逆らうのは、ほんとに苦しいことだよ。あやうく笑ってしまいそうなので困っているときに、左中将(経房)がほんとうにつれなく知らん顔でおられたのを、この君と目でも合わせれば、笑ってしまうだろうと苦しくて、台盤の上に、め(海草)があったのを取って、ただ食いに食って笑いを紛らわしたところ、中途半端な時に変な物食うなあと人々見ただろうよ。だけど、しっかりと、そのおかげでだ、此処と申さなくてすんだのだ。笑っていればそうはいかないよ、まことに知らないのだろうと思われたのも、おかしくてな」などと語るので、「さらに、なきこえ給そ(これからも、お聞かせしないでよ)」などと言って、日が経ち久しくなった。

 夜がかなり更けたころに、門をひどく驚くほどに叩くので、何用のために、心ないことに遠くもない門を音高く叩くのだろうと聞いていて、問わせると、滝口(陣にいる侍)であった。「左衛門の尉(則光)の――」と文をもって来た。みな寝ているので、灯火とり寄せて見ると、「明日、御読経の結願で、宰相の中将(斉信)は御物忌みに籠もられ暇になる。『いもうとの居所を言え、言え』と責め立てられても、どうするすべもない。決して隠しとおせないだろう。ここですよとお聞かせするべきかどうか、如何にすべきか。おっしゃるとおりにするつもりです」と言っている。返事は書かないで、め(海草)を一寸ばかり紙に包んで遣った。

 さて、後日に来て、「一夜は責め立てられて、なんでもない所々へ心あたりあるふりしてお連れしてまわった。本気で、さいなまれる(責めいじめる)ので、まったく辛い。それはそうと、どうして何ともお返事がなくて、め(海草)の端をば包んでくださったんだよ、おかしな包み物やないか、人のもとにあんな物を包んで贈る習慣なんてあるの、取り違えてるのか」と言う。いさゝか心もえざりける(少しも覚えていないことよ・海草食って我慢したこと…すこしも心得ていないことよ・めの言の心を)と、見ているとにくらしかったので、ものも言わないで、硯のそばにある紙の端に、

かづきするあまのすみかをそことだに ゆめいふなとやめをくはせけん
(潜っている海女の住処を底とだなんて ゆめゆめ言うなと目くばせしたのでしょうが……隠れている女のすみ処を其処なんて ゆめゆめ言うなとめを食わせているでしょうが)。

と書いて差し出したので、「歌を詠ませようとされるのか、さらに見はべらじ(決して見ません…もう見ません)」といって、あふぎ返して(扇返して…合う気返して)逃げていった。

  このように語らい、お互い後ろ盾になったりするうちに、何となく少し仲が悪くなっているころ、文をよこした。「ぐあいの悪いことがございましても、やはり契りました方をお忘れにならないで、よそ目にでも、そうであろうとは、まろのことを・見ていて戴きたいとですね、思います」といっている。常に言っていることは「我を思う女は歌を詠んでよこさないように、よこせばすべて敵とですね思う。今は限りと仲絶えようと思うようなときに、そのようなことは言え」などと言っていたので、この返しに(歌を詠んで遣った)、

くずれよるいもせの山の中なれば さらに吉野の河とだに見じ

(崩れ寄る妹背山の中だから、もう吉野の川とは見なさないのね……くずれ寄り添う女と男の山ばの中ほどで成れば、もう見よしのの好しのの女とは見ないのね)。

と言って遣ったものの、まことに見なかったのだろうか、返しもせずであった。さて、則光は・五位に叙せられ冠得て、とうたあふみのすけ(遠江国の介…遠い合う身のすけ)と言ったので、にくゝてこそ(憎らしくてね)、仲は終わったのだった。


 言の戯れと言の心

 「あま…海人…女」「そこ…底…其処」「め…目…海草…言の心は女」「妹背山…紀伊の国の山の名…女と男の山」「山…山ば」「河…川…女」「中…仲」「見…覯…媾…まぐあい」「いさゝか心もえざりける…少しも言の心を心得ていない」。


 
 歌の様を知り言の心を心得る人は、古今の歌を仰ぎみて恋しくなるだろう(仮名序)と、貫之は述べている。心得ないと、藤原公任のいう「心におかしきところ」が聞こえないので、則光と同様、和歌は味気なくて興味がもてないでしょう。

 
 左衛門の尉則光との別れの経緯は斯くの如し。未練がないのではない、悲しくないわけがない。心情は次の〔八十一〕以下に記す。



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

   原文は 「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」 による