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帯とけの枕草子〔七十三〕内のつぼね
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔七十三〕内のつぼね
内のつぼね、ほそどの、いみじうおかし(内裏の局、女房たちの部屋、とっても風情がある)。
上の蔀をあげれば、風がよく吹き入って、夏もたいそう涼しい。冬は、雪あられ、風と一緒になって降り入っているのも、いとおかし(とっても趣きがある…とっても興味深い)。細殿は狭くて、童子などが上がってくるのは悪いけれども、屏風の内に、彼を・隠して置けるので、他の所の局のように、童が見て・声高く笑ったりしないので、いとよし(とっても都合がいい)。昼などは絶えず気をつかわされる。
言の戯れと言の心
「つぼね…局…女達の仕切り部屋…身つぼね…女」「ほそ…細…しなやか…せまい…女の褒め言葉…身つぼねの褒め言葉」「雪…ゆき…逝き…白ゆき…おとこ白ゆき」。
夜はまして、彼と・うち解けようもないのが忍びごとらしく、いとおかしきなり(とっても趣がある…とってもいいのである)。くつのおと(沓の音…来つの音)、夜、一晩中あちこちで聞こえているのが、止まって、ただお指一つで叩くのがその人だと、女には・ふと聞こえるのが、おかしいことよ。たいそう久しく叩くので、内で音もしないと寝入ったのだと思うだろうと、ねたくて(残念なので…腹立たしいので)、女は少し身じろぎ衣ずれの気配。さななり(そうなのだ…先客ありかなどと)と、男は・察するでしょうよ。
冬は火桶にやおら立てた箸の音も、しのびたり(忍んでいるのよ…忍んで来たのね)と言っているものを、男は気付かず・たいそう叩き増さり、声でも言うので、陰ながらすべり寄って、(声の主は誰かと)聞くときもある。
また、おおぜいの声で詩を朗詠し、歌など謡うときは、叩かずとも、先に開けると、ここへとも思わなかった人(意外な男)が立ちどまったりする。
ゐるべきやう(座りよう…入りよう)もないので、夜どおし立ち明かすのもやはりおかしなものなのに、几帳の帷子のとっても鮮やかな所に、男の衣の・裾の端がうち重なって見え、直衣の後ろに綻びあるのをたえず着ている君達や六位の蔵人が青色など着て、わがもの顔で遣戸のもとなどに近く寄って立つことはできなくて、塀の方に後ろへ寄って、袖すり合わせ立っているのは、おかしけれ(従者たちの様子おかしいことよ…好奇心わくことよ・主は誰か)。
また、指貫たいそう色濃く、直衣の色鮮やかで、色々な内衣をこぼすように出している人が、すをおしいれて(簾を押し入れて…すをおし入れて)、なかば入っているようなのも、外より見れば、とってもおかしいでしょうに、清げな硯ひき寄せて文かき、もしくは、かがみを乞うてびんなをしなど(鏡を乞うて鬢直しなど…彼が身を乞うて見直しなど)しているのは、すべておかし(寝乱れたか・すべておかしい…屈む身を乞うて見直しか・すべておかしい)。
三尺の几帳を立ててあるので、帽額(もかう……簾の上部にある横幕風の布)の下との隙間がただ少しある。外に立って居る人(男)と内に居る人(女)と、もの言う顔が、隙間あたりで、よく見合っているのは、おかしけれ(おもしろいことよ)。背丈の高い、または短い人はどうするのかしら、やはり普通そんな身丈でしょう。
それよりも・まして、臨時の祭りの調楽(予行演奏)などは、とってもおもしろい。主殿寮の官人、長い松明を高く灯して、松明の・くびは引き減っていくので、先はさし迫ったようなのに、おもしろそうに管弦を楽しみ、笛吹きたてて、心は別のことを思っているときに、君達が当日の装束して立ちどまり会話などしていて、供の隨身どもが前駆を忍びやかに短く、己の君達(主人)のために前を追っているのも、管弦の音に混じって常とは違って、おかしく聞こえる。
なお、明けるのにつれて帰りを待っているときに、君達の声で、「あらたにおふる、とみ草の花(荒田に生える富草の花…荒ら多に感極まる、とみ女の華)」と謡っている、このたびだけは今すこし趣があるのに、なんという真面目男でしょう、そのまま静々と歩いて去ってしまう者がいるので、女たちが・笑うのを、わたしが・「しばしや、など、さ、よを捨ていそぎ給ふ、とあり(しばし待たれよ、どうして、そのように、夜を捨ててお急ぎなさいますのと、女たち・言っているのよ)」などと言えば、心地でも悪いのだろうか倒れるばかりに、もしかして人が追ってきて捕らえるのかと見えるほどに、惑い出る者もいたりする。
言の戯れと言の心
「くつ…来つ…沓」「おひ…老い…生い…負い…極まる」「かがみ…鏡…屈み…屈む身…果てたおとこ」「びん…鬢…(或る本は)見…媾…まぐあい」「くび…頚…首…頭部…松明の先端」。
風俗歌を聞きましょう。
あらたにおふるとみ草の花、手に摘み入れて、宮へ参らむ、参らむや
(荒れ田に生える富草の花、手に摘み入れて、宮へ参ろう、参ろうや・中つ絶え……荒れ多、女の感極まる、と見女の華、手に摘み入れて、宮こへ参ろうよ、参ろうや・半ばの絶え果て)。
「田…女…多…多情」「おふ…生ふ…追ふ…感極まる」「とみくさ…いねの古名…と見女」「と…門…おんな」「見…まぐあい」「草…女」「花…華…華やぎ…栄華」「宮…宮こ…京…感極まるところ」「まいらむ…参ろう…共に山ばの京へ参りましょう」。
「宮こへ参らむや」という風俗歌を謡って去る男に、「など、よ(世…夜…男女の仲)を捨てて急ぎ給ふ」との言いかけは、追い打ちなので、男は逃げ出すほかないでしょう。
おとなの女たちと男たちとの交際ぶりを描いてある。内の局の風情を描写して「いとおかし」などと言っているのではない。人が「心におかし」と思えるのは、風情ではなく人の心情、その情態の方でしょう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による