帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔六十二〕さとは

2011-05-05 00:02:30 | 古典

 
            
                    帯とけの枕草子
〔六十二〕さとは


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言 枕草子〔六十二〕さとは

 
さとは、相坂のさと。ながめのさと。ゐざめのさと。人づまのさと。たのめのさと。夕日のさと。つまとりのさと、人にとられたるにやあらん我まうけたるにやあらんとをかし。伏見のさと。朝がほのさと。

 
清げな姿
 里
、逢坂の里。眺めの里。寝覚めの里。人妻の里。たのめの里。夕日の里。つま取りの里、人に取られたのだろうか、我が儲けたのだろうかとおかしい。伏見の里。朝顔の里。

 心におかしきところ
 さ門は、合坂のさと。もの思いに耽るさと。井覚めのさと。人妻のさと。他の女のさと。落日のさと。夫取りのさと、人に取られたのでしょうか、わが儲けたのかしらとおかしい。伏し身のさと。浅顔のさと。

 言の戯れと言の心
 さと…里…人里…女の実家…女…さ門」「さ…美称」「と…門…女」「あふさか…逢坂…合う坂…男女の感の極まる山坂の合致」「ながめ…眺め…もの思いに耽る…長雨…淫雨」「いさめ…寝覚め…禁め…諌め…ゐさめ…井さめ」「井…女」「夕日…落日…日没」「日…男…火…心を燃やすもの…激情」「つま…つれあい…妻…夫」「あさかお…朝顔…浅顔」「浅…思慮などが浅い…情が深くない」。


 里の歌を聞きましょう。古
今和歌集 巻第十八雑歌下
 
深草の里に住んでいて、京へ参ると言って、そに居るひとに詠み贈った歌 在原業平
 
年をへてすみこしさとをいでゝいなば いとゝ深草のとやなりなむ
年月を経て、住んできた里を、出て去ったならば、ますます草深い野となるだろうか……疾しを経て、済み来たさ門を、出でて逝ったならば、さらに深い女の荒れ野となるであろうか)。

 
「年…とし…疾し…早すぎ…おとこの性」「すみ…住み…済み…澄み」「さと…里…女…さ門」「草…女」「野…山ばでは無い…ひらの…あれの」。

 
返し よみ人しらず
 
野とならばうづらとなきて年はへむ かりにだにやは君はこざらむ
 (野となれば、鶉となって鳴いて年は経るでしょう、狩りにでも君は来ないでしょうか……深草野となれば、憂面となって泣いて疾しは経るでしょう、仮にもかりにも君はもうこないのかしら)。


 伊勢物語(第百二十三)の返歌は、少し違う。
 
野とならばうづらとなりてなきおらむ かりにだにやは君はこざらむ
 (野となれば、鶉となって鳴いて居るでしょう、狩りにでも君はこないかしら……ひら野となれば、憂面となって、泣きながら折ってやる、かりにでも、君の身来ないかしら)。

 
「うづら…鶉…鳥…女…憂面…憂い顔」「なく…鳴く…泣く」「おらむ…居るでしょう…折るでしょう…折ってやる」「む…推量の意を表す…意志を表す」「かり…仮…狩り…あさりむさぼり…めとり…まぐあい」。


 
「伊勢物語」にある返歌の「心におかしきところ」は、少し強過ぎるので、緩和して「古今集」に載せたのでしょう。
 
言の戯れを忘れた今の人々は、これらの歌や枕草子の「清げな姿」だけを見ている。「心のおかしきところ」のあることを知らない。


 伝授 清原のおうな
 聞書  かき人しらず 2015・8月、改定しました)

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による