帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔七十七〕御仏名のまたの日

2011-05-23 00:08:26 | 古典

 



                                帯とけの枕草子〔七十七〕御仏名のまたの日



 
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言 枕草子〔七十七〕御仏名のまたの日

 御仏名(罪を懴悔する法会)の次の日、地獄絵の屏風をとりひろげて、宮にご覧に入れられる。気味悪く、ひどいこと限りない。宮「これ見よ、これ見よ」と仰せられるけれども、それ以上拝見致さずに、気味悪さのため小部屋に隠れ伏した。

 雨がひどく降っていて、することもないので、殿上人を上の御局に召して、管弦などの御遊びがある。道方の少納言の琵琶はすばらしい。済政の箏の琴、行義の笛、経房の中将の笙の笛などおもしろい。ひとわたり、演奏を楽しんで、琵琶弾き止んだころに、大納言殿(宮の兄君、伊周)
「琵琶の声止んで物語せんとすること遅し」と朗詠されたので、隠れ伏していた者(私め)が起き出して、「猶、罪は恐ろしけれど、ものゝめでたさはやむまじ(やはり、仏法の禁じた事を破る罪は恐ろしいけれど、遊びの愛でたさは、止まないでしょう……汝お、つみは、恐ろしいけれど、ものの愛でたさは尽きないでしょう)」と言って笑われる。

 言の戯れと言の心
 「物語せんとすること遅し…(管弦の音止んだ後の)静寂の間…白楽天の詩『琵琶行』では、左遷された地方の国で、誰が弾くともわからぬ琵琶の音を船上で聞く、都の曲であったので、感激して我を忘れ、闇にむかって弾く者は誰かと問うと、他の船の琵琶の声止んで、答えようとすること遅し、ようやく、弾き手の女は、都で元一流の奏者だったが商人の妻となりこの国に流れてきたと身の上を語る…そんなわけで、ここは女が、大納言殿に応えるのが相応しいでしょう」。

「猶…なほ…やはり…汝お…おとこ」「つみ…罪…積み…重ねる…増す」「もののめでたさ…管弦などの遊びの愛でたさ…男女の行為の愛でたさ…身の一つのものの愛でたさ」「もの…情況…物…はっきり言えないもの」「めでたさ…愛でたさ…すばらしさ…賞美する程の…賞味する程の」「やむまじ…止まないだろう…止めないだろう」「まじ…打消しの推量を表わす」。



 応答のおかしさは、上のような言の戯れの中に生起している。笑われたのだから、意は伝わったといえるでしょう。


 この頃、長徳元年(995)は、関白道隆が病のため辞任、出家の後に亡くなった。関白を継いだ弟の右大臣道兼も卒。権大納言道長と内大臣伊周(大納言殿)が対立。従者同士も闘争。道長が右大臣となり氏長者となる。道長の随身殺害されるなど激動の年。同時に、中宮とわれらが後宮の受難が始まるのである。



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)


 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による