帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十二〕さてその左衛門

2011-05-29 00:02:01 | 古典

   



                      帯とけの枕草子〔八十二〕さてその左衛門
 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔八十二〕さてその左衛門

 
さてその左衛門の陣(そうしたことがあって、その則光の前勤務先)へ行って後、里に退出してしばらく居る頃に、「早く参上しなさい」などとある仰せごとの端に、「左衛門の陣へ行った後ろ姿がね、常に思い出される。いかでかさつれなくうちふりてありしならん(どうして、そのように、よそよそしく、里で過ごして居るのか…どうして、あのように、平気を装って、急に老いて居たのかしら)。いみじう愛でたからんとおもひたりしか(とっても愛でたいと、則光のことを・思っているのね…とっても愛でたいと、自らを・思っているのか・と宮は仰せですよ」なとどある。お返事に「かしこまりました」の後に、私ごととして、「どうして、自らを・愛でたいと思っていないことがございましょう。宮におかれても(則光も)、私めを・中なる乙女(宮中に舞い降りた天女)と、ご覧になっておられるでしょうと思っておりました、(とお伝えください)」と伝えさせたところ、たち返り、「そなたが・とっても贔屓に思っている仲忠の面目をつぶすことをどうして申してよこしたの(仲忠は則光のように乙女を捨て去ったかしらね)。ただ今宵のうちに、よろずの事(愛も憎しみも)捨てて参上しなさい。そうしなれば(わたしがそなたを)ひどく憎むでしょう(と仰せです)」との仰せごとであれば、まあまあ程度でもおそれおおい、まして「いみじう」とある文字には、(則光への未練や憎しみどころか)命も身もさながら捨ててですね、ということで参上した。


 
言の戯れと言の心

「さて…そうして…そういうことがあって…左衛門の尉則光との別れがあって」「その左衛門の陣…則光の居た職場…今は則光の居ない所」「うちふりて…うち経りて…何となく過ごして…うち古りて…急に年寄って」「うち…接頭語」「いみじうめでたからん…(則光は)とっても良かっためでたいだろう…(則光は)なんとすばらしいのだろう…(自分は)身を引いてとっても愛でたいだろう」「なかなるおとめ…宇津保物語の仲忠の歌、あさぼらけほのかに見ればあかぬかななかなるおとめしばしとめなむ(朝ぼらけ、ほのかに見ればまだ明けていないのかな、宮中にいる乙女たちしばし留まっていてほしい……朝ぼらけほのかに見れば飽かぬかな、半ばなる乙女しばし宮こに留まっていてほしい)の舞降りた天女」「思へなる仲忠…(清少納言の)贔屓にしている仲忠」「おもてぶせ…面伏せ…面目を失くすこと」「よろずのこと…万の事…則光との諸々の事…則光への色々な思い…後悔、則光の為にはこれで良かったのだ、未練、嫉妬(たぶん若く美しい妻を連れて地方に赴任したのでしょう)、にくしみなど」「さながら…すべて…残すことなく全部」。



 宮のお言葉「いみじう愛でたからんとこそ思ひたりしか」には、含みがあるでしょう。


 地方官の任期は四年ながら帰京せず、そのまま定住する人も居た。則光とは今生の別れかもしれない。仮にも中関白家に深く関わった女房の夫では、行く末、道長の天下のもとでの昇進などおぼつかないのは明らか。地方への赴任は則光の賢明な選択でしょう。清少納言は、未練がありながら、あえて、則光と別れたのでしょう。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による