帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十一〕もののあはれ

2011-05-28 00:02:00 | 古典

   



                       帯とけの枕草子〔八十一〕もののあはれ
 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
 



 清少納言 枕草子〔八十一〕もののあはれ
 

 
もののあはれしらせがほなる物、はなたりまもなふかみつゝ物いふ声、まゆぬく。


 文の清げな姿

何となく哀れを知らせ顔な情況、鼻みず垂れ、絶え間も無くかみながらもの言う女の声。眉抜く女。


 心におかしきところ

ものの哀れを知らせるかおなる物、ものはな垂れ、間もなく彼方を見つつもの言う男の声、小枝、間より抜く。


 言の戯れと言の心

 「物…もの…言い表し難い情況…はっきり言い表したくないもの」「あはれ…いたわしい…いとしい…さみしい」「かほ…顔…いかにもそのような様子である…彼お…もの…おとこ」「はな…鼻みず…花…先端」「たり…垂り…垂れる…垂らす」「まもなく…間も無く…絶え間なく…間もおかずすぐに」「声…こゑ…こえ…小枝…おとこ」「まゆ…眉…間ゆ」「間…女」「ゆ…より…から…動作の起点を示す」。


 男に去られた哀れな情況を、和歌の表現方法と同じく「清げな姿」に「心におかしきところ」を添えて表してある。言いかえれば、空虚な悲しみとその比喩の心におかしきところを、清げな姿で包んで表してある。
 


 空しきわが心の哀れは、生の感情として感じられるでしょうか。千年の時を隔てて伝わるならば、和歌の表現方法のすばらしさを讃えるべきでしょう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による