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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首(二百九十七と二百九十八)
行きかヘリ千鳥鳴くなりはまゆふの 心へだてゝ思ふものかは
(二百九十七)
(行きかえり、千鳥が泣いているようだ、浜ゆうの葉のように幾重にも、心を隔てて思っているものか、分け隔てなく好ましく思っているぞ……くり返し、女たちが頻りに鳴いているようだ。はまゆうの幾重にも、心隔てて思っているものか、今も近しく好ましく思っているぞ)。
言の戯れと言の心
「千鳥…水辺に群れ住む鳥…しば鳴く鳥…頻りに鳴く鳥」「鳥…女」「はまゆふ…浜木綿…浜辺の草花…女…葉が幾重にも重なって茎を外から隔てている…隔てるもののたとえ」「へだてて…間に物を置いて…距離を離して…うとんじ遠ざけて」「ものかは…反語の意を表す」。
亭子院歌合の歌。亭子院(宇多法皇)の御歌。
歌の清げな姿は、院の判定に偏りありとの親王の声を聞かれ、応えられた御歌。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、千鳥が泣いているようだが、院になった今も女たちを親しく好ましく思っているぞ。
住よしとあまは言ふとも長居すな 人忘れ草おふと云ふなり
(二百九十八)
(住み好い所と、漁師が言うとも長居するな、人を忘れるという草が生えているというぞ……住み好しと、海女は言うとも長居するな、ひとに見捨てられる草が、その身の生えるというぞ)。
言の戯れと言の心
「住吉…住み良し…住み好し」「あま…海人…海女…吾女」「人忘れ草…此の草を摘めば忘れたい人が忘れられるという…生えれば人に忘れられるという草」。
古今和歌集 雑歌上。男の歌。詞書によると、知り合いの人が住吉に詣でたときに、詠んで遣った歌。
歌の清げな姿は、無事で早く帰ってこいよ。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、旅先で浮気をしていると、妻に見捨てられるぞ。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。