帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百九十七と二百九十八)

2012-09-07 00:13:05 | 古典

   

 


          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百九十七と二百九十八)


 行きかヘリ千鳥鳴くなりはまゆふの 心へだてゝ思ふものかは
                                 
(二百九十七)

(行きかえり、千鳥が泣いているようだ、浜ゆうの葉のように幾重にも、心を隔てて思っているものか、分け隔てなく好ましく思っているぞ……くり返し、女たちが頻りに鳴いているようだ。はまゆうの幾重にも、心隔てて思っているものか、今も近しく好ましく思っているぞ)。


 言の戯れと言の心

 「千鳥…水辺に群れ住む鳥…しば鳴く鳥…頻りに鳴く鳥」「鳥…女」「はまゆふ…浜木綿…浜辺の草花…女…葉が幾重にも重なって茎を外から隔てている…隔てるもののたとえ」「へだてて…間に物を置いて…距離を離して…うとんじ遠ざけて」「ものかは…反語の意を表す」。


 亭子院歌合の歌。亭子院(宇多法皇)の御歌。


 歌の清げな姿は、院の判定に偏りありとの親王の声を聞かれ、応えられた御歌。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、千鳥が泣いているようだが、院になった今も女たちを親しく好ましく思っているぞ。


 

 住よしとあまは言ふとも長居すな 人忘れ草おふと云ふなり
                                 
(二百九十八)

(住み好い所と、漁師が言うとも長居するな、人を忘れるという草が生えているというぞ……住み好しと、海女は言うとも長居するな、ひとに見捨てられる草が、その身の生えるというぞ)。


 言の戯れと言の心

 「住吉…住み良し…住み好し」「あま…海人…海女…吾女」「人忘れ草…此の草を摘めば忘れたい人が忘れられるという…生えれば人に忘れられるという草」。

 
 古今和歌集 雑歌上。男の歌。詞書によると、知り合いの人が住吉に詣でたときに、詠んで遣った歌。


 歌の清げな姿は、無事で早く帰ってこいよ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、旅先で浮気をしていると、妻に見捨てられるぞ。

 

 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。