帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百十九と三百二十)

2012-09-20 00:05:15 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百十九と三百二十)


 わが宿の一群すゝきかりかはむ 君が手なれの駒も来ぬかな
                                   
(三百十九)

 (わが家の一群の尾花、刈りするか、食うでしょう、君か、君の手馴れた駒も来ないかなあ……わがや門の一斑の薄情おとこ、かり交わすでしょう、君の手慣れの股間も来ないなあ)


 言の戯れと言の心

 「やど…宿…家…やと…屋門…門…女」「ひと…一…一か所…一回きり…一過性」「むら…群…斑…まだら…色に濃淡あり…情さだまらず」「すゝき…おばな…薄…薄い情…おとこ」「かり…刈り…めとり…まぐあい」「はむ…食む…食う」「かはむ…交わむ…交わすだろう」「君か…君かまたは…君が…君の」「てなれ…手馴れ…よく馴れた…手熟れ…熟練した」「こま…駒…股間…子間…おとこ」「も…もう一つのものを添える…前の語を強調する」「来ぬかな…来ないなあ」「かな…感嘆の意を表す」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、庭の繁った尾花の処置についての思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、すすきを見て、かり交わす君の薄情さへの思い。

 


 あさなけに世の憂きことを忍ぶとて ながめしまゝに年ぞ経にける
                                   
(三百二十)

 (朝に昼に世の憂きことを堪え忍ぶといって、もの思いに沈んでいる間に、年月が経ったことよ……いつも、夜の浮きことを偲ぶといって、思いに浸っている間に、疾し一瞬は過ぎることよ)


 言の戯れと言の心

 「あさなけに…朝に昼に…いつも」「世…夜」「うき…憂き…浮き」「しのぶ…忍ぶ…堪え忍ぶ…偲ぶ…恋い慕う…なつかしむ」「ながめ…眺め…ぼんやり見ている…もの思いに沈む…もの思いに浸る」「とし…年…歳…疾し…早い…一瞬」「ける…けり…気付き詠嘆の意を表す。」


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、光陰矢のごとし。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、いつも、女から見れば疾患としか思えない早さで一瞬の間に、男の山ばは過ぎることよ。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。