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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (三百三十一と三百三十二)
思ひやる心や行きて人しれず きみが下紐ときわたるらむ
(三百三十一)
(思いやるわが心が、もしかして行って、人に知られず、君の下着の紐を今ごろ解き続けているでしょう……わたしを思いやる心がもしや逝きて、ひとに感知されず、君の下お、解けたまま続くのでしょう、どうしてよ)。
言の戯れと言の心
「思ひやる心…わたしが君を思い遣る心…君がわたしを思ってくれる心」「や…疑問の意を表す」「ゆき…行き…逝き」「人しれず…他人に知られず…女に感知されず」「きみが下紐…君の下着の紐…君の下ひも…君のおとこ」「ときわたる…解け続ける…わが中に溶解したまま続く…感知されない状態が続く」「らむ…推量する意を表す…原因理由を推量する意を表す」。
古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、人に思われると下紐がひとりでに解けるという俗信の確認。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、張りつめていたものが、わが中でとろけたままであることへの疑問。
ありはてぬ命待つ間のほどばかり 憂き事しげく思はずもがな
(三百三十二)
(在り果てていない我が命、限りを待つ間の時間だけは、世の憂き事を頻繁に思いたくないなあ……中に在り果てたおとこの命、復活待つ間の程だけは、きみは浮きこと頻繁に思わないでほしい)。
言の戯れと言の心
「ありはて…在り果て…命を全うする…いつまでも同じ情態でいる」「ぬ…ず…打消しの意を表す…ぬ…てしまった…完了の意を表す」「命…男の命…おとこの命」「待つ間…余生の果てるのを待つ間…復活するのを待つ間」「ばかり…だけ…限定の意を表す」「うき…憂き…いやでつらい…浮き…浮かれた」「しげく…絶え間なく…煩わしいほど多く」「もがな…願望を表す」。
古今和歌集 雑歌下。男の歌。詞書に「つかさ(官職)解けて侍りける時よめる」とある。
歌の清げな姿は、退職後の余生だけは、のんびり暮らしたい。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、やまばから逝けに堕ちたおとこが、這いあがり再び山ばを目指す間は、力なき蛙状態である。せめ立てないでほしいとのおとこの願い。
和歌は、ものに包み、このような事柄まで表現できる様式であった。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。