帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百三十一と三百三十二)

2012-09-27 00:04:57 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百三十一と三百三十二)


 思ひやる心や行きて人しれず きみが下紐ときわたるらむ
                                  
(三百三十一)

 (思いやるわが心が、もしかして行って、人に知られず、君の下着の紐を今ごろ解き続けているでしょう……わたしを思いやる心がもしや逝きて、ひとに感知されず、君の下お、解けたまま続くのでしょう、どうしてよ)。


 言の戯れと言の心

 「思ひやる心…わたしが君を思い遣る心…君がわたしを思ってくれる心」「や…疑問の意を表す」「ゆき…行き…逝き」「人しれず…他人に知られず…女に感知されず」「きみが下紐…君の下着の紐…君の下ひも…君のおとこ」「ときわたる…解け続ける…わが中に溶解したまま続く…感知されない状態が続く」「らむ…推量する意を表す…原因理由を推量する意を表す」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、人に思われると下紐がひとりでに解けるという俗信の確認。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、張りつめていたものが、わが中でとろけたままであることへの疑問。



 ありはてぬ命待つ間のほどばかり 憂き事しげく思はずもがな
                                  
(三百三十二)

 (在り果てていない我が命、限りを待つ間の時間だけは、世の憂き事を頻繁に思いたくないなあ……中に在り果てたおとこの命、復活待つ間の程だけは、きみは浮きこと頻繁に思わないでほしい)


 言の戯れと言の心

 「ありはて…在り果て…命を全うする…いつまでも同じ情態でいる」「ぬ…ず…打消しの意を表す…ぬ…てしまった…完了の意を表す」「命…男の命…おとこの命」「待つ間…余生の果てるのを待つ間…復活するのを待つ間」「ばかり…だけ…限定の意を表す」「うき…憂き…いやでつらい…浮き…浮かれた」「しげく…絶え間なく…煩わしいほど多く」「もがな…願望を表す」。


 古今和歌集 雑歌下。男の歌。詞書に「つかさ(官職)解けて侍りける時よめる」とある。

 歌の清げな姿は、退職後の余生だけは、のんびり暮らしたい。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、やまばから逝けに堕ちたおとこが、這いあがり再び山ばを目指す間は、力なき蛙状態である。せめ立てないでほしいとのおとこの願い。



 和歌は、ものに包み、このような事柄まで表現できる様式であった。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。