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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (三百三十三と三百三十四)
あひ見ぬもうきも我が身の唐衣 思ひしらずもとくる紐かな
(三百三十三)
(お逢いしない人も嫌な人も、我が身のうわべの色衣、こちらの思いも知らず思われて、ひとりでに解ける紐だこと……合い見ない人も浮かれ人も、わが空しい心身の思いもしらず、とけるおとこかな)。
言の戯れと言の心
「あひ…相…お互い…合い…和合」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「ぬ…ず…打消しの意を表す」「うき…憂き…嫌な…うっとしい…浮き…浮かれた」「唐衣…女の色鮮やかな上着…色衣…空衣…うわ衣」「衣…心身を包んでいるもの…心身の換喩…身と心」「とくる…結んでいたものがほどける…溶解する…とぐ…はたす…はてる」「ひも…紐…緒…男…おとこ」「かな…であることよ…感動、感嘆の意を表す」。
古今和歌集 恋歌五。題しらず、女の歌。
歌の清げな姿は、男どもの注目の的、お色気たっぷりな女の思い。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、誰もかも、わが空しい思いも知らずとけると嘆く。はかないおとこのさがについての女の思い。
われ死なば嘆け松虫空蝉の 世に経し時の友と偲ばむ
(三百三十四)
(我が死ねば、鳴け松虫、空蝉のような儚い世で過ごした時の友と思い、その声を懐かしむよ……我がおとこ死ねば、嘆けよ女の身の虫、空しい背身と夜を過ごした時の、つれあいだなと、懐かしむだろうよ)。
言の戯れと言の心
「死なば…死ねば…逝けば…小さなものの死があれば」「なげけ…嘆け…悲しみ泣け…溜息をつけ…乞い願え」「松虫…女の虫…女の身に棲む虫…人の身にはもとより三びきの虫が棲んでいるという、虫の知らせとか、虫が好かんなどと言う時の虫らしい」「松…待つ…女」「空蝉…殻蝉…空背身…むなしいおとこ」「世…夜」「とも…友…伴…つれあい」「偲ばむ…恋い慕うよ…懐かしむよ」。
古今集の歌ではない。よみ人しらず。男の歌として聞く。
歌の清げな姿は、辞世の歌のよう。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、常に、まつ虫から、悲嘆され溜息つかれていた男の開き直り。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。