帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百三十三と三百三十四)

2012-09-28 00:25:11 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百三十三と三百三十四)


 あひ見ぬもうきも我が身の唐衣 思ひしらずもとくる紐かな
                                 
(三百三十三)

 (お逢いしない人も嫌な人も、我が身のうわべの色衣、こちらの思いも知らず思われて、ひとりでに解ける紐だこと……合い見ない人も浮かれ人も、わが空しい心身の思いもしらず、とけるおとこかな)。


 言の戯れと言の心

 「あひ…相…お互い…合い…和合」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「ぬ…ず…打消しの意を表す」「うき…憂き…嫌な…うっとしい…浮き…浮かれた」「唐衣…女の色鮮やかな上着…色衣…空衣…うわ衣」「衣…心身を包んでいるもの…心身の換喩…身と心」「とくる…結んでいたものがほどける…溶解する…とぐ…はたす…はてる」「ひも…紐…緒…男…おとこ」「かな…であることよ…感動、感嘆の意を表す」。


 古今和歌集 恋歌五。題しらず、女の歌。

 歌の清げな姿は、男どもの注目の的、お色気たっぷりな女の思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、誰もかも、わが空しい思いも知らずとけると嘆く。はかないおとこのさがについての女の思い。

 


 われ死なば嘆け松虫空蝉の 世に経し時の友と偲ばむ
                                  
(三百三十四)

 (我が死ねば、鳴け松虫、空蝉のような儚い世で過ごした時の友と思い、その声を懐かしむよ……我がおとこ死ねば、嘆けよ女の身の虫、空しい背身と夜を過ごした時の、つれあいだなと、懐かしむだろうよ)。


 言の戯れと言の心

 「死なば…死ねば…逝けば…小さなものの死があれば」「なげけ…嘆け…悲しみ泣け…溜息をつけ…乞い願え」「松虫…女の虫…女の身に棲む虫…人の身にはもとより三びきの虫が棲んでいるという、虫の知らせとか、虫が好かんなどと言う時の虫らしい」「松…待つ…女」「空蝉…殻蝉…空背身…むなしいおとこ」「世…夜」「とも…友…伴…つれあい」「偲ばむ…恋い慕うよ…懐かしむよ」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。男の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、辞世の歌のよう。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、常に、まつ虫から、悲嘆され溜息つかれていた男の開き直り。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。