帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百九と三百十)

2012-09-14 01:12:02 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百九と三百十)


 流れくる滝の白糸よわからし ぬけど乱れて落つる白玉
                                    
(三百九)

 (流れ来る滝の白糸、弱いらしい、横糸いれても乱れて落ちる白珠……汝涸れくる、女の多気への白糸弱いにちがいない、抜けど身垂れて落ちる白玉)。


 言の戯れと言の心

 「流れくる…汝涸れくる…泣かれくる」「汝…親しきもの…おとこ」「滝…女…多気…多情」「の…からの…への」「白糸…細いもの…弱いもの」「らし…確実な推量の意を表す…らしい…にちがいない」「ぬけど…横糸を入れても…抜けど」「みだれて…乱れて…みたれて…身垂れて…おとこの果て」「白たま…白珠…真珠…白玉…宝玉…おとこの涙」。


 古今集の歌ではない。男の歌。拾遺和歌集雑上 貫之。斎宮の宮の屏風歌。

 歌の清げな姿は、滝の絵に添えるのに相応しい歌。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、儚いおとこのさがを「なかれくる」とか「みたれておちる白玉」などというところ。


 

 世の中に絶えて偽りなかりせば 頼みぬべくも見ゆる玉づさ
                                   
(三百十)

 (世の中に絶えて偽りがないならば、頼みにしてしまいそうにも思える、恋文……夜の半ばに絶えて、井津、張り無くかりすれば、頼みにしているにちがいないと見える玉津さ)。


 言の戯れと言の心

 「世の中…男女の仲…夜の中」「いつはり…偽り…嘘ごと…井津張り…井津を張るもの…おとこ」「なかり…無かり…無く狩り」「かり…猟…めしとり…めとり…まぐあい」「頼みぬ…頼りにしてしまう…頼りにした…間違いなく頼りにしている」「ぬ…完了を表す…確かだと確認し強調する意を表す」「べく…べし…きっと何々だろう…違いない…確信をもって推量する意を表す」「も…強調」「見ゆる…思える」「見…覯…媾」「玉づさ…玉梓…玉章…便り…恋文…玉津さ…女」「玉…美称」「つ…津…女」「さ…細…美称」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。男の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、偽りの恋文、この世に絶えることはない。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、中絶えのおとこの、玉津さの思いを推量した。自責の念か。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。