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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (三百十七と三百十八)
わがせこが来ませりけりな各宿の 草もなびけりつゆも落ちけり
(三百十七)
(我が背の君がいらっしゃったなあ、各宿の門前の草も靡いた、露も落ちたことよ……わたしの背こがいらっしゃったわ、閉ざすやどの、妻も寄り添いしなだれたことよ、白つゆも落ちたことよ)。
言の戯れと言の心
「せこ…背子…夫君…夫の子の君…おとこ」「な…なあ…感動の意を表す」「かくやど…各宿…各家…かく屋門…閉ざすや門」「と…門…女」「かく…各…掛く…閂掛ける…閉じる」「草…女…若草の妻(古事記にこのような表現がある時、既に草の言の心は女)」「なびく…身を寄せる…しなだれる…たおれ伏す」「つゆ…夜露…白露…おとこ白つゆ」「けり…気付や詠嘆の意を表す」。
古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、秋の宵、各家に夫君の訪れるさま。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、夫君のおとずれた後の仲睦ましいありさま。
おく霜に根さへ枯れにし玉かづら いつくらむとはわれは頼まむ
(三百十八)
(おりる霜に根さえ枯れてしまった玉葛、生きて根付くだろうと、わたしは信頼している……贈り置くしもに、声さえ嗄れ、根小枝涸れてしまった、玉且つら、且つまた、射尽くでしょうと、わたしは頼む)。
言の戯れと言の心
「おく…降りる…贈り置く」「霜…下…白いもの」「ね…根…音…声」「根…おとこ」「さへ…さえ…までも…添加の意を表す…さ枝…身の小枝…おとこ」「かれ…枯れ…嗄れ…涸れ」「玉かづら…玉葛…玉且つら…すばらしい尚もまた」「玉…美称」「かつ…且つ…すぐに又…たちまちまた」「ら…情態を表す」「いつく…活き付く…射尽く」「頼まむ…頼むだろう…あてにするわ」「む…しょう…意志を表す」。
古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、霜枯れの葛に寄せる思い。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、涸れた小枝に寄せる女の思い。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。