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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (三百七と三百八)
神無月しぐれふりおける楢の葉の 名におふ宮の古ごとぞこれ
(三百七)
(初冬の候、しぐれの雨、降り置いた楢の葉の、奈良が名に付けられた都の、古事ですぞ、これ……初冬、神も女も無き月人壮士、冷たきお雨降りおいた寧楽の端の、汝に感極まる宮このひとの古言ですぞ、これは)。
言の戯れと言の心
「神無月…かみなつき…十月…初冬…神なし月…女無し月人壮士」「かみ…神…女」「月…月人壮士…男」「しぐれ…初冬の雨…冷たい雨…悲しい涙」「楢の葉…紅葉し落葉する葉…ならの端…寧楽の端…山ばの端」「名…汝…汝身…おとこ」「おふ…負う…名など付けられる…おう…極まる…感極まる」「宮…都…宮こ…寧楽の極み…感極まったところ」「古ごと…古事…古言」「ぞ…強く指示する」。
古今和歌集 雑歌下。男の歌。詞書によると「貞観(清和天皇)の御時、万葉集はいつごろ作られたのかと、問わせられたので、詠んで奉った」或る臣の歌。
歌の清げな姿は、冷えびえとなる頃の、奈良の都の古言でございます。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、万葉集全体から受ける印象を端的に奏上したところ。
万葉集を素直に読めば、女と引き離された男の声と待つ女の声が、一貫して旋律となって流れている。それを聞けば、心が寒い、萎える、悲しいとしか言いようがない。それを此の歌は三十八字で表した。
今の人々は万葉集にどのような印象を持たされているのでしょうか。「ますらをぶり」などという雑な印象が、蔓延っていない事を祈る。
古今集は、今の人々に清げな姿だけを見せて、下半身が埋もれいることさえ知られていない。これは残念ながら確かなことである。
またばなほ寄りつかねども玉緒の たえて堪えねば苦しかりけり
(三百八)
(待っていれば、男は猶も寄りつかないけれど、やはり玉緒のように絶えて、堪えられなければ女は苦しいことよ……または汝お、撚り付かない、とも玉の、おの命がこときれて、絶え根は、女もつらいことよ)。
言の戯れと言の心
「またば…待たば…待っていれば…または…又は…復は…股は」「よりつかね…寄りつかず…撚りつかず…強くならない」「ども…けれども…とはいえやはり…とも…伴…供…共…いつも一緒の」「玉…美称…二つある玉」「緒…ひも…お…おとこ」「たえて…絶えて…耐えて」「たえね…堪えず…我慢できない…絶え根…絶えたおとこ」「ね…ず…打消しを表す…根…おとこ」「くるし…苦痛である…つらい…心配である」「けり…詠嘆の意を表す」。
古今集の歌ではない。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、待つのもむなしいが、絶えてしまわれるとほんとうに辛い。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、絶え根は苦しいことよ。
此の歌は貫之自身の歌「待たばなほ寄りつかずとて玉緒の絶えと絶えてはわびしかりけり」を改作したのでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。