帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百五と三百六)

2012-09-12 05:26:28 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百五と三百六)


 うつ蝉の世にしも住まじ霞立つ 深山のかげに世は尽くしてむ
                                    
(三百五)

 (空蝉のような世には住みたくない、霞立つ深山の陰で、世は尽くし生涯を終えたい……空背身の夜では済ませたくない、かす身立つ、あの山ばのお蔭を被って、夜は尽くしたい)


 言の戯れと言の心

 「うつせみ…空蝉…抜け殻…この世に生まれ鳴き暮らして短い命の尽きるものの抜け殻…空背身…空背見…むなしき夫君の見」「の…比喩を表す」「じ…打消しの意志を表す…したくない…しないつもりだ」「よ…世…男と女の仲…夜」「すまじ…住みたくない…済みたくない…済ますつもりはない」「霞…春霞…春彼す身…張るかす見」「す…女」「み…身…見…覯…まぐあい」「立つ…始まる…立ちあがる…立ちのぼる」「みやま…深山…見山ば」「山…山ば」「かげ…陰…蔭…おかげ…がけ…山ばの崖…涯」「尽くす…命を尽くす…ものを尽くす…やり尽くす」「む…意志を表す」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、深山に抱かれた山里でこの世を尽くしたい。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、彼す身立つ、見山ばの崖に夜を尽くしたい、女の思い。


 
 石上ふる野の道も恋しきを しみつく日にはまづも帰らむ
                                    
(三百六)

 (いそのかみ布留野の道も恋しいので、標し付く日には、先ずは帰るだろう……女の上、古野の路も恋しいのだが、締め尽きる日には、先ずは逃げ帰るだろう)


 言の戯れと言の心
 「いそのかみ…石の上…所の名…石上神社…古いところ…古の枕詞」「石…磯…女」「かみ…神…上…女の敬称」「野…山ばではないところ」「道…路…女」「を…ので…のだが」「しみつく…標み付く…占め縄など着く…祭礼などの…凍めつく…凍り付く…締め尽きる…古びてしまりなくなる」「まず…何をおいても先ず…それより先に」「かへらむ…(古里へ)帰ろう…(此処を逃げ)帰ろう」。


 古今集の歌ではない。男の歌。


 歌の清げな姿は、古里の祭りには先ずは帰ろう。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、細門が古き広門となる先に逃げ帰るだろう、男の思い。
 
 両歌とも、深い心は、老いゆくことへの恐れ。
 
 貫之全集に次のような歌がある。

 石の上布留野の道の草分けて 清水汲みには復も帰らむ

 (石の上、布留野の道の草分けて、清水汲みには、再び帰って来るだろう……女の上、ふる野のみちのくさ分けて、澄んだ女心を汲みには、再び返るだろう)

 これを、おとなの男向けに改作すれば、「先ず逃げかえらむ」歌となる。貫之自身の仕業。


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。