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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
平安時代の和歌は、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容とは全く異なるものであった。国文学の解く内容とも大きく隔たった驚くべき文芸であった。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って「百人一首」の和歌を紐解く。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (三十四) 藤原興風
(三十四) たれをかもしる人にせむ高砂の 松もむかしのともならなくに
(誰を、知人にしようか、高砂の松も・千歳だし、昔の伴侶でもないので・皆亡くなったなあ……垂れおかもなあ、誰を・汁ひとにしよう、高きこの山ば待つ女も、昔のように・武樫のように、共に成らないので)
言の戯れと言の心
「たれ…誰…垂れ」「を…対象を示す…お…おとこ」「かも…疑問の意を表す…詠嘆の意を表す」「しる…知る…汁…潤む…滲む」「人…知人…友人…女」「高砂…土地の名…名は戯れる。高い砂山、高い崩れやすい山ば」「松…待つ…言の心は女(木の言の男ながら松は例外)…姫松…千年の長寿」「も…強調する意を表す…極端な事例を表す」「むかし…昔…武樫…強く堅い」「の…所在を表す…のような…比喩を表す」「とも…友…伴…伴侶…共…一緒」「ならなくに…ではないので…成らないので」
歌の清げな姿は、知人・友人皆に先立たれた翁の心情。
心におかしきところは、たれおかも、武樫おとこではなくなった翁の詠嘆。
古今和歌集 雑歌上、題しらず。 竜宮城の乙姫さまにもらった玉手箱を開いたばかりに、タイムスリップとかした浦島太郎か、と思える歌に、まさか、こんなおかしなことを、愛でたく添えてあるとは思わない、または、思えない人のために、興風の歌を、もう一首、聞きましょう。
春歌上、寛平の御時后宮歌合の歌。宇多天皇の在位(889年~898年)の御時に、その御母の主催された歌合の歌。
さく花は千種ながらにあだなれど 誰かは春をうらみはてたる
(深い心は無い・清げな姿は略す……咲くおとこ花は、千種すべてそのまま、はかなく薄情な物だけれども、誰が、春情を・張るお、恨んで果てたか)
「花…木の花…男花…おとこ花」「春…季節の春…張る…春情」「はてる…果てる…尽きる…逝く」。
皆、恨むどころか有頂天(俗界・色界の快楽の極み)に至って果てるだろう。逆転の発想が特異で、歌合などで、人気がありそうな歌である。