帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (四十一) 壬生忠見 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-02-11 19:32:58 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 平安時代の和歌は、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容と全く異なる驚くべき文芸であった。
原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って「百人一首」の和歌を紐解く。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(四十一) 壬生忠見


  (四十一) 
恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか

(恋してるという、我の噂は早くも立ったことよ、他人に知られずに、思い初めたものを……乞い求めるという、わが汝は、その時ではない時に立ったなあ、人知れず、思い、色に衣を・染めたことよ)

 

言の戯れと言の心

「恋…こひ…乞ひ…求め」「な…名…評判…噂…汝…親しきものをこう呼ぶ…我が身の一つのもの…おとこ」「まだき…未だその時ではない時」「たちにけり…(噂が)立ったことよ…汝身が起立したことよ」「こそ…強く指示する意を表す」「そめしか…初めた…染めた…白色に染めた」「しか…き…過去の事実を表す…であった」「か…詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、ただならぬ表情に出てしまい、早くも噂が立った忍ぶ恋。

心におかしきところは、おとこの魂が、逢い合う前に白つゆとなって出でて衣を染めてしまった。


 若者の忍ぶ恋、独り寝の夜のありさま。自立する気ままな振る舞いは、おとこのさが。


 

拾遺和歌集 恋一に在る。天暦の御時の歌合の歌。歌合の結びの一番で兼盛の歌(四十)と勝劣を争った。この時の判者は、誰あろう、公任の祖父、左大臣藤原実頼であった。同じ忍ぶ恋の歌で、悩ましい判定であったが、兼盛の「しのぶれば」を勝ちとした。「心におかしきところ」を比較して見れば、妥当な判定だろうと思える。


 この内裏和歌合の記録によると、判者実頼、左右の歌ともに優れていて、勝劣決せられず、主上の気色を窺うと、或る重臣より、主上の御口元は「しのぶれど」と呟かれていると聞いて、これにより、兼盛の「しのぶれど」の歌を勝ちと為したという。しかし、それまで暫らくの間、忠見の歌も甚だ好き歌なので、「持(引き分け)」かもしれないと判者は思っていたのだとある。是は「勅判」である、とするのは、判者が恨みを受けないための常套手段である。