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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
平安時代の和歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観で紐解いている。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (四十五) 兼徳公
(四十五) あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
(愛おしいと言うべきあの人は、我を・思わないままで、わが身が、はかなく恋死してしまうのだろうか……あゝ愛しい、と言うべき女は、もの思えぬままで、わが身の端が、お役に立てず・衰えて逝ってしまうのだろうかあゝ)
言の戯れと言の心
「あはれ…情趣がある…感動する…哀れ…憐れ…愛おしい」「べき…べし…推量の意を表す…当然・適当の意を表す」「人…あの人…思い人…女」「思ほえで…思えないで(自発の打消し)」「で…ずに…打消しの意を表す…ないのに…原因理由を表す」「み…身…見…覯…媾…まぐあい」「いたづら…はかない…役立たず…むなしく死ぬ」「ぬ…してしまう…完了する意を表す」「かな…感動・感嘆の意を表す…疑問・詠嘆の意をあらわす」。
歌の清げな姿は、物越しに逢えたが、それ以上は許さなかった女に、引き下がれない男の思いを訴えた。
心におかしきところは、「あはれ」という思いもさせられなくて、やくたたず、むなしく、身は逝ってしまうのだろかと、おとこが訴えた。
拾遺和歌集 恋五、詞書「もの言ひ侍りける女の後につれなく侍りて、さらにあはず侍りければ」、一条摂政(藤原伊尹・兼徳公・兼家の兄・道長らの伯父にあたる人)。若く官位も低かった頃の歌のようである。
「逢って言葉を交わし情は通じ合ったのに、その後つれなくなって、さらに合わずなったので」詠んで遣った歌。このおとこの歌の「心におかしきところ」が、お相手の女にどのように伝わったか、その結果もわからないけれども、第三者として、今の人々の心に、「何となく艶にも、あはれにも聞ゆる事のあるなるべし(このおとこが・何となく艶っぽくも、哀れにも、愛おしくもあるだろう)」か。時は千年隔たっていても、おとこの生の心が伝わるはずである。これが「歌」であると、定家の父、藤原俊成は言ったのである。