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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観で蘇らせる。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、三つの意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (四十九) 大中臣能宣
(四十九) みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ
(御垣守、衛士の焚く火のように夜は燃え、昼は消えつつ、きみ恋しい・思いに耽る……見掻き盛り、ゑ士のたく思い火が夜は燃え、ひるは絶え筒、もののおを思う)
言の戯れと言の心
「みかきもり…御垣守…宮中警護の役人の呼び名…名は戯れる。見掻き盛り、身掻き盛り」「かき…垣…垣根…掻き…かきわける…こぎすすむ」「もり…守り…盛り…盛んになる…盛り上がる」「ゑし…衛士…ゑ士…ゑ男…ゑおとこ」「ゑ…恵…感嘆詞…好しゑ」「火…恋の炎…思い火…情念の火」「つつ…継続を表す…筒…中空…涸れ絶え」「ものを…何でもないものを…身の一つのものお…おとこ」「こそ…強調・限定などの意を表す…それを」「思へ…(こその係り結び)思ふ…思う」。
歌の清げな姿は、夜間警護の間は、きみを恋い焦がれ燃える思いよ、昼は思いし萎え、あれこれと思う・今宵逢えば合えるかなあ。
心におかしきところは、昨夜の燃えるようなみ掻き盛りに、昼は筒となった吾が身を思う。
詞花和歌集(仁平元年1151)頃成立、第六番目の勅撰集。恋上、題しらず。「清げな姿」で分類すれば、まさに妻恋の歌。能宣は後撰和歌集の撰者の一人。
言の心(この時代のこの文脈で通用していた字義以外の意味)を心得れば歌が恋しくなるだろうと貫之は言った。言の戯れを知れば「心におかしきところ」が顕れる、それは煩悩即菩提であるとは、俊成の教え。言い換えればエロスが顕れる。これは洋の東西を問わず時代を越えて人間味の溢れる源である。歌には、玄之又玄なるところに生々しく顕れる。時を超えて今の人々にも伝わるだろうか。