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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
平安時代の和歌は、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容と全く異なる驚くべき文芸であった。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って「百人一首」の和歌を紐解く。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (四十二) 清原元輔
(四十二) 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
(契り交わしたよね、お互いに、涙の・袖を絞りつつ、末の松山波越さじとは・心変わりなどあり得ないとなあ……貴女は契りを・千切ったな、お互いに身の端を、涸れるまで・絞りつつも、末の待つ山・果ての期待の山ば、汝身越さないとはなあ)
言の戯れと言の心
「ちぎり…契り…約束…夫婦のちぎり…千切り…ずたずたに引き裂く」「き…過去の事実を表す」「な…念を押す…ね…感嘆・詠歎を表わす」「かたみに…お互いに…堅みに…堅身に」「そで…袖…端…身の端…おとこ・おんな」「しぼり…絞り…(涙の誓いに濡れた袖を)絞り…(交わすちぎり涸れるまで)絞り」「つつ…継続を表す…つつも…継続したのに・詠嘆を表す」「末の松山波越さじ…(慣用的な用い方は)万が一のことも起こらない…絶対にしない…絶対にあり得ない」「末の松山…山の名…名は戯れる、末の待つ山ば、行く末に期待する二人の山ば、ものの末に共に越すを期待すべき有頂天の山ば」「なみ…波…津波…汝身・吾身」」「な…汝…親しいものをこう呼ぶ」「こさじ…越さない…途中で断ち切れる…(有頂天の山ばを共に)越えない」「は…取り立てて強調する…詠嘆の意を表す」
歌の清げな姿は、「堅く契ったよね、万が一にも心変わりしないとなあ」、契りを千切り破られた男の詠嘆。
心におかしきところは、ものの末に期待する山ば、ともに越えられないとは、絞り尽くしたおとこの詠嘆。
此の歌は、後拾遺和歌集の恋四に在り、心変わりした女に、或る男に成り代わって詠んだ歌という。
本歌と思われる、古今集の歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第二十 東歌の中の陸奥歌。よみ人知らず。女の歌として聞いてみよう。
君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山浪も越えなむ
(君をさし置いて、他の男を思うような心を、わたしがもし持てば、末の松山浪も越えるでしょうよ・あり得ない天変地変がおこるでしょうよ……いつも先立つ・君を置いといて、はかなく変わる心を、もし私が持てば、果ての期待の山ば、汝身も共に越えて欲しいの)
「あだし心…異心・他心・変わり易い心」「なみ…浪…汝身」「なむ…(越えて)しまう・だろう…完了・推量の意を表す…(越えて)欲しい…相手に希望する意を表す」。
元輔の歌の女も、このように言って契りを結んで、裏切ったとすれば、元輔の歌の「清げな姿」や「心おかしきところ」がよりおかしくなるだろう。清少納言の父、元輔の歌は、本歌が見事に生かされ、うらみ心、清げな姿、心におかしきところが、ほどほどにある、優れた歌である。