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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって蘇える。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (五十五) 大納言公任
(五十五) 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
(滝の音は絶えて久しくなってしまったけれど、素晴しいという・評判だけは、世に・流布して、今も・なお聞こえていることよ……女の・多気の声は、絶えて久しくなってしまったけれど、我が・汝こそ、流れて・汝涸れて、なおも、気超えて・気色の限度過ぎて、いるなあ)
言の戯れと言の心
「滝…たき…言の心は女…多気…多情」「音…おと…こえ…声」「ぬ…完了したことを表す」「な…名…名声…評判…汝…親しきものをこう呼ぶ…わがおとこ」「こそ…強調」「ながれて…流れて…流布して…なかれて…汝涸れて…おとこ尽き果てて」「なほ…やはり…依然として…汝ほ…汝お…おとこ」「きこえ…きこゑ…聞こえ…気越え…気超え…気力・気色の限度を過ぎ」「けれ…けり…気付き・詠嘆」。
歌の清げな姿は、古き滝の跡を見ての感想。
心におかしきところは、尽き果てたありさまから、睦ましくもはげしい和合を彷彿させるところ。
拾遺和歌集 雑上、詞書「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに、ふるき滝をよみ侍りける」。これは清げな姿の説明と聞く。
藤原公任と清少納言はほぼ同年輩である。全く同じ文脈にあって、歌を合作(コラボ)したこともある。その心におかしきところは、帯とけの枕草子(百二)をご覧いただくとして、ここでは、この文脈で「たき」は「滝…多気な女…多情な女」と戯れていたと心得えれば、「枕草子(五十八)滝は」がどのように聞こえるかみてみましょう。
滝は、音無しの滝、布留の滝は、法皇の御覧じにおはしましけんこそめでたけれ。那智の滝は、熊野にありと聞くが哀なり。とどろきの滝は、いかにかしがましく、おそろしからん。
言の戯れを知らず言の心を心得ずに、字義通り読めば、「愛でたけれ」「哀れなり」「恐ろしからん」に、いまひとつ共感できない。主旨も趣旨伝わってこない。それは、この散文の「清げな姿」に過ぎないからである。ここで読みが終わるのは無智も甚だしい。まして下手な文章などと、清少納言を貶めるのは許せない。
心におかしきところは(……多気な女は、むっつりの多情。古く涸れた多情女は、(花山)法皇が御覧にいらっしゃったのでしよう、それは、愛でたいことよ。無智の多情女は、熊野詣でしていると聞くが哀れである。轟きの多情女は、井かに、かしましくて、おとこども・恐ろしいでしょうね)。