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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観で蘇らせる。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、三つの意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (四十八) 源重之
(四十八) かぜをいたみ岩打つ浪のおのれのみ くだけてものを思ふころかな
(風が激しくて岩打つ浪のように、自分だけが、身も心も・うち砕かれて、ぼんやりもの思う今日この頃だなあ……貴女の・心風がひどいので、井端うつ汝身が、吾が身だけ、うち砕かれて、憂きこと思うころ合いかなあ)
言の戯れと言の心
「かぜ…風…心に吹く風…春風・あき風・心も凍る寒風など」「を何々み…原因・理由を表す…が何々なので」「いたみ…激しいので…ひどいので…苦痛なので」「岩…いは…石(いし)・磯(いそ)の言の心は女…井端…おんな」「浪…波…汝身…吾が身…おとこ」「な…汝…親しきものをこう呼ぶ」「の…比喩を表す…のように…主語を示す…が」「のみ…限定…だけが…の身」「くだけて…砕けて…心乱れて…心痛めて…身も心もうち尽きて」「かな…感嘆・詠嘆を表す」。
歌の清げな姿は、女に言い寄ったけれども、堅く拒否された男の心の砕けざま。
心におかしきところは、井端に汝身うちつづけたけれども、盤石に変わりなし、うち砕かれたおとこの憂きこと思うころあい。
詞花和歌集 恋上、詞書「冷泉院、春宮と申しける時、百首歌たてまつりけるによめる」。たぶん深い心は無い。皇太子の情操教育のため又はお楽しみのために、奏上した歌。
いは(岩)が女性であるとは、今の人々には受け入れ難いことだろう。万葉集・古今集を通じて、この時代の文脈では通用していた意味である。「紫式部集」に此の言葉を用いた歌があるので聞きましょう。
紫式部の夫が亡くなって、世のはかなき事を嘆く未だ喪の明けない頃のこと、言い寄って来た男が居たが、門を堅く閉ざしていたところ、宵の暮れに、門(かど)を叩きわずらって帰った人(男)が翌朝に寄こした恨み歌「よとともに荒き風吹く西の海も 磯辺に浪も寄せずとや見し」とあった返し、
かへりては思ひ知りぬや岩かどに 浮きて寄りけるきしのあだ波
(清げな姿は字義通りで略す……ひっくり返って思い知ったか、井端かどに浮かれてよくも寄って来たことよ、岸壁のあだ汝身)
「いは…岩…井端…女」「かど…門…角」「きし…岸…みぎは…砂浜では無い岸壁…来し」「あだ…仇…徒…浮気な…誠実でない…いいかげんな」「なみ…波浪…汝身…おとこ」。