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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
平安時代の和歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観で紐解いている。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (四十七) 恵慶法師
(四十七) 八重むぐら繁れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋はきにけり
(八重葎の繁る、荒廃した・家が寂しいのに、人影さえ見えず、ものがなしい・秋の季節が来てしまったことよ……八重に繁り荒れる、や門が寂しくものたりないのに、男が見えず、おとこに・厭きが来てしまったのだなあ)
言の戯れと言の心
「八重むぐら…八重葎…雑草…荒廃した…身も心も荒れた」「草…言の心は女」「しげる…繁る…多い…頻繁…絶え間ない…多情な」「宿…やど…言の心は女…や門…おんな」「さびしき…ひっそりとしている…心細い…ものたりない」「に…場所を表す…時を表す…空間を表す…ので…のに…その上に」「人…人影…男」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「ね…ず…打消しの意を表す…寝…根」「秋…季節の秋…飽き…厭き…見捨てること」「に…ぬ…完了したことを表す」「けり…詠嘆を表す」。
歌の清げな姿は、むかし栄華を極めた、今は・雑草茂る荒れた邸宅に秋来たるという心。
心におかしきところは、八重にしげるや門なのに、おとこは見捨ててみず、あきがきてしまったのだなあ。
全てのものは移ろい変わり行く、栄華もその名残の家も人の心も。言わずと知れた無常観が歌の根底にある。歌はそれだけではない。むぐら(つる草)と宿の「言の心」を心得て、「見」と「秋」は意味の多様に戯れる言葉と知って歌を聞けば、男とそのおとこの、はかなく移ろう生のありさまが顕れる。
拾遺和歌集 秋 詞書「河原院にて荒れたる宿に秋来るといふ心を人々詠み侍りけるに」(はるか以前、左大臣源融の大邸宅だった所にて、「荒れたやどに、あき来たるという心情」を題に人々が歌を詠んだので、ついでに・詠んだ歌)。恵慶法師(今の住人の安法法師の友人のようである。清原元輔、曾禰好忠らとも親交が有ったという。詳しいことは明らかでない)。