帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (四十三) 権中納言敦忠 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-02-13 19:38:06 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義


 

 藤原定家撰「小倉百人一首」
(四十三) 権中納言敦忠

 
  (四十三)
 あひ見ての後の心にくらぶれば むかしはものを思はざりけり

(逢って情け交わした後の心情に比べれば、以前は、何とも言えないこのような思いはしなかったなあ……合い見た後の情感に比べれば、わが・むかしは、何とも言えない快感を、思わなかったなあ)

 

言の戯れと言の心

「あひ見て…逢い顔を見て…合い見て」「合…合体…和合」「見…覯…媾…まぐあい」「心…心情…情愛…情感…感触」「むかし…昔…以前…武樫…おとこ…『伊勢物語』が、むかしをとこありけり、と語り始めたとき既に、むかしは、昔・以前・武樫・強く堅い、である」「もの…何とも言えないこと…言い難き情感…言い難き感触・快感」「ざり…ず…打消しを表す」。

 

歌の清げな姿は、物越しにでも逢って言葉を交わし、情を通わした後の何とも言えない思い。

心におかしきところは、合い見ての後の、ものの、もの思い。


 

「帯とけの拾遺抄」を書き終え「百人一首」の半ばだけれども、当「帯とけ古典文芸」の立つ位置が明確になってきたので述べる。


 江戸
の国学に始まる近代以来の国文学の和歌解釈は、歌言葉を一義に聞いて、歌の「清げな姿」を解く。両義が有ると思われる言葉は「掛詞」あるいは「縁語」であると指摘する。意味の通じ難い部分については、次の言葉を導き出すための「序詞」で訳さずとも良い、これらは歌の修辞技法であると解く。近代以来の学者や歌人や現代の古語辞典は、すべて、このような解釈で占められている。姿しか見えないのでおかしくもない歌となる。そこで、解釈者の憶見が加えられる。それを、和歌の意味として享受させられるとは、なんと奇妙な状態に在ることか。当時の歌合などでは、三度、ゆっくり読み上げられるだけで、歌のすべてが、心に伝わったのである。そうなるためには、国文学的解釈方法を捨てて、平安時代の歌論と言語観に帰ればいいのである。


 紀貫之は「ことの心」心得る人は和歌が恋しくなるだろうという。歌言葉の「言の心」は字義の他に孕んでいる意味である。

藤原公任は、歌に三つの意味があるという。歌言葉は戯れて多様な意味があるとすれば、それを心得れば、いうところの「深き心」「清げな姿」「心におかしきところ」の複数の意味が聞こえるだろう。そのように和歌は作られてあった。

清少納言の言う、同じ言葉でも聞き耳異なるもの(それが、われわれの言葉である)とは、「同じ一つの言葉でも、人により受け取る意味が異なるものである」という、驚くべき言語観である。言語は、人の理性による論理で制御し難い性状であることは、西洋においては、二十世紀になって、哲学者たちが気付きはじめたようである。清少納言の言語観は哲学的では無いけれども、それを超えて、多様に意味の戯れる厄介な言葉を逆手にとって、「心におかしい」意味の孕んだ言動で、当時の人々を笑わせた。そのおかしさの内容も、和歌の「心におかしきところ」と本質は同じである。「枕草子」は和歌の言葉の文脈内に有る。和歌の「心におかしきところ」が解ければ、枕草子のほんとうの面白さを享受することができるだろう。枕草子の中で人が百回程「笑ひ給う」けれど、読んで一笑もできない読みは間違いである。「伊勢物語」や「平中物語」などの歌物語でも同じである。たぶん「源氏物語」も同じ文脈にあるだろう。

藤原俊成は『古来風躰抄』に、「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕れる」と述べた。(歌の言葉は、軽薄で浮かれた、飾った言葉の、戯れには似ているけれども、事柄の深い趣旨や主旨がそこに顕れる)と、明確に言語観と歌論が述べられてある。顕われるそれは、言わば煩悩であり即ち歌に表わせば菩提(悟りの境地)であるという。

国文学はこれらを全て無視して、和歌の解釈を行った。


 平安時代の和歌の文脈は鎌倉時代から「秘伝」となって、歌の家に埋もれはじめ、江戸時代には、秘伝や伝授そのものが埋もれ木の朽ちる如く消えてしまい、和歌の文脈は断絶したのである。

紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って和歌の真髄を紐解きつづける。秘伝となって消えた部分が何であったか、なぜ秘伝などになったのかが、ひとりでに見えて来るだろう。