帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (五十二) 藤原道信朝臣 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-02-22 19:30:33 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、

定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観で蘇らせる。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、三つの意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。


 
藤原定家撰「小倉百人一首」 (五十二) 藤原道信


  (五十二)
  明けぬればくるるものとは知りながら なほうらめしき朝ぼらけかな

(夜が・明ければ、繰り返し・暮れるものとは知りながら、今宵までの別れ・やはりうらめしい朝のほんのりとした明るさよ……限りが来れば、果てるものとは知りながら、汝お、うらめしい浅洞気かな・空しい)

 

言の戯れと言の心

「あけ…(夜)明け…期限が来る…限度が来る」「くるる…繰るる…繰り返す(宵が来る)…暮るる…(日が)暮れる…ものの果てが来る」「なほ…猶…やはり…それでも…汝お…わがおとこ」「うらめしき…くやしい…残念な…不満の残る」「あさぼらけ…朝ぼらけ…夜明け方、ほのぼのと明るくなる頃…女との別れの一時…浅洞け…おとこの浅はかではかない空洞情態」「かな…詠嘆の気持を表す」。

 

歌の清げな姿は、悠久に繰り返される自然の営みの中で、一喜一憂しながら日々を暮らす人のありさま。

心におかしきところは、朝を迎えたおとこの浅く果てて空洞となった気色。


 

藤原道信は、公任や清少納言より年下の青年、藤原兼家の養子となったので、道長の弟ということになる。若くして歌の才を表したが、二十三歳で夭折した。

 

藤原定家は「毎月抄」で次のように述べている。(第一首の冒頭にも記した)。

秀逸の歌は「先ず、心深く、たけ高く巧みに言葉の外まで余れる様にて、姿けだかく、詞なべて続け難きが、しかも安らかに聞こゆるやうにて、おもしろく、幽かなる景趣たち添ひて、面影ただならず、気色は然るから、心も、そぞろかぬ歌にて侍り」。

「そぞろかぬ…すずろかぬ…はっきりしないのではない…はっきりと(心が聞く者の心に)伝わる」。難しい字義はこれだけだが、定家の述べる「秀逸の歌」の定義の意味は、今の人々には、文脈が異なるので難解だけれども、ここまで五十首余りの歌の「姿」と「心におかしきところ」を、時には深い心を紐解いてきたので、この歌論のほんとうの意味に少し近づけた気がしないであろうか。歌論を現代語に訳す前に、歌の「深い心」や「姿」が何であるかが心に伝わり、景趣の面影がすばらしい気色にさせてくれて、「心におかしきところ」も、そぞろでなくはっきりと、心に伝わって来たときに、この歌論の意味がわかるのだろう。その時、定家と同じ文脈で歌を聞いていることになる。