帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (五十三) 右大将道綱母 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-02-23 19:18:50 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、
定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観で蘇らせる。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(五十三) 右大将道綱母


  (五十三) 
嘆きつつひとりぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る

(嘆きつつ、独り寝る夜の明くる間は、如何に久しきものと、貴方は・ご承知かしら……無げ気筒、独り、濡れる夜の明ける間は、井かに、久しきものとかは、しるや・きみ)

 

言の戯れと言の心

「なげき…嘆き…溜息…悲嘆…無げ気…投げ気…投げやり…その気無さそうなさま」「つつ…継続を表す…筒…おとこ…中空…むなしい」「ぬる…寝る…(独り)寝る…濡る…(嘆きの涙で)袖が濡れる…(身のそでが)濡れる」「あくるま…(夜の)明ける間…(冬の夜家の門を)開けるまでの間…(身の門を)開ける間隔」「門…と…おんな」「いかに…如何に…どれ程…井かに…おんなとかに」「井…おんな」「しる…知る…汁」。

 

歌の清げな姿は、独り寝の、ながながしき夜を嘆いてみせた。

心におかしきところは、「色衰えた妻、夫に質問」という清げな姿に包んで、生々しく表わしたおんなの色情。

 

拾遺和歌集 恋四。詞書「入道摂政(兼家)まかりたりけるに、門を遅く開けければ、立ちわづらひぬといひて侍りければ」。

「蜻蛉日記・上」によれば、或る夕方、兼家が「内裏に」などと言って出掛けたので、あやしくて、後を付けさせたところ「町の小路」のとある家に泊り給うという。心憂しと思うころ、二、三日経って、暁方に門を叩いた、帰ったのだろうとわかっていたが、開けなかったので立ち去った。追いかけるように、色衰えた菊に付けてこの歌を届けたのである。「菊…きく…質問する…詰問する…草花の言の心は女」。

 

兼家の言い訳の言い草と返歌を聞きましょう。


 手間取っていたのは、用心のために門を固く閉ざしていたためだね、もっともなことだ。開けるまで待っていたのだが、内裏から「とみなる召使(急用の使者)」が来てね、(呼びもどされたのよ、このごろ仕事が忙しのだ)。返歌、
  
げにやげに冬の夜ならぬ真木のとも 遅くあくるはわびしかりけり

(もっともだ、もっともだ、冬の夜ならずとも、真木の門戸も・身の門も、開けるのに手間取るのも・開けるのが間遠になるのも、わびしいことだなあ)

ことなしびたり(知らぬふりしている・こちらも知らぬふりしている)。それから後もしばしば、「内裏に」などと言って出掛けたのである。

 


 「蜻蛉日記」には、二百六十首ほどの歌がある。これら全てに「清げな姿」だけでなく、上のような「心におかしきところ」があり、そこに人の生の心が表されて有る。定家の父藤原俊成は、それを歌言葉の戯れに顕れる主旨・趣旨で、言わば煩悩であるという。

 

日本のすばらしい古典文芸の、ほんとうの意味の半分も未だ解き明かされていない。憂うべきことである。その原因の根本は、国文学の奇妙な和歌解釈方法とその解釈にある。