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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
ここまで、三十七人の歌を聞いた。うち女性は持統天皇と小町と伊勢の三人。男三十四人の歌の「心におかしきところ」には、男の心根や、おとこの性(さが)が顕れている。大げさに言えば、一千年以上前の男たちの本能の声、煩悩の表出、即ち菩提(悟りの境地)である。一挙に聞きましょう。
藤原定家撰「小倉百人一首」(番外) 男の歌
○ 飽き足りた田の民の、狩の・仮の、庵にて聞く、井おの、門間お、荒く激しいために、わが心と身の端は、つゆに濡れていたことよ。
○ あの山ばの我が妻の後ひきの、し垂れおのときのように、長ながしき夜を、いまごろ妻は・独りだろうかなあ、寝ているのだろう。
○ 多情の娘子のうらに、うち出でて見れば、白妙の不尽の高峯に・白絶えの二度とない高峰に、ゆきはふりつつ・逝きは経り筒。
○ 奥深き山ばに、もみ路、夫身分け、泣く肢下の、小枝利くときぞ、飽き満ち足りは愛しいことよ。
○ 七夕姫のわたらせた、身の・端におく、下の白きを見れば、合う・夜ぞ耽ったことよ。
○ 吾女の腹、ふり放ちて見れば、かすかである、三つ重なる山ばに出た、つき人をとこかもなあ。
○ 我が偉おは、見やこの立つ身、確とことは済むぞ、この我を・夜の中を、薄情なやまばと、女人は言うのである。
○ これか、これが、往き来するもの、時に・別れては、しるものも、しらぬも、合う山ばの門か。
○ 綿のような腹、多の肢間かけて扱ぎ出たぞと、妻には告げよ、吾間の吊りふ根。
○ あまつ風、乙女心に、煩悩の・雲の、通う路を吹き閉じよ、乙女の、清き姿・澄んだ心、あとしばし、留めておきたい。
○ 男と女の山ばより堕ちる見無の、川・かは、乞いぞ積りて、深いよどみとなり濡る。
○ わが衣の・みちのくの忍ぶ乱れ模様、誰のせいでしょうか、乱れ染めにしたのは我では無いのに・貴女ゆえ。
○ あなたのために、春の野に出でて、若菜摘む・貴女を娶る、我が心と身の端に、白ゆきは降ってしまった。
○ 絶ち別れ、因幡の・往なばの、山ばの峰に感極まる、松・待つ女、と聞けば、今に・井間に、引き返して来るだろうよ。
○ ち早ふる、紙よも効かず、たつた川・断ったかは、鮮やかな紅色に、をみな、くぐるとは。
○ 心澄み好き女の、みぎわに立ち寄る、我が汝身、寄り添うのさえ、夢のような通い路、ひとめ好いのだろうか。
○ やるせなくなってしまったから、井間は、やはりきっと同じか、何が成る・何が起ころうと、身を尽くし果てても、合おうとだ、我は・思う。
○ 井間、絶頂が・来そうなの、と言ったばかりに、長つきの、明け方の尽きを待ち、井間より・出てきたことがあったなあ。
○ 吹くとたちまち、飽き満ちた女と男が、しおれるので、なるほどそれで、山ばの心風を、荒らしと・激しいと、言うのだろう。
○ 月人おとこ・尽きてみれば、縮み縮むので、物こそものかなしいことよ、わが身一つだけの、飽き・厭き、ではないのに。
○ この度は、我が大・ぬさも、とり合えず・つり合わず、たむける山ばは、もみぢの・飽き色の、錦木、めかみのお気に召すままに。
○ 汝に感極まったので、合う坂の山ばの、さ寝且つらだと・さ根そのうえにだと、女に知られず、おわる・繰り返す、手立てがほしいなあ。
○ を暗の山ば、峰のあき色の端、心あるならば、今一度の・井間ひとたびの、見ゆき・身逝き、待って、散って・欲しい。
○ 身かの腹、湧きて流れる井津身かは、何時見たと言うのか・見てもいないのに、乞いし、どうして求めるのだろうか。
○ 山ばの、ふもとの・さ門は、飽き果てた後ぞ、さびしさ増さることよ、ひとめもくさむらも、離れて・枯れて、しまうと思えば。
○ 気遣う事無く、折りたいな折ろう、初しもの、贈り置きを惑わせる、色づいてなさそうな、乙女よ。
○ 朝方残るつき人おとこが、つれなく見えた・冷淡で無情に見ていた、朝の別れがあってより、あか・吾が、尽き程、ゆううつで嫌な物はない。
○ 浅ほらけ、のこりのつき人おとこが、まさかと思うまでに・まさかと見るまでに、好しのの、さ門に、降った白ゆきよ。
○ 山ばの女に、心風のかけた、肢絡みは、汝涸れきれない、飽きの色情だなあ。
○ 久堅の吾女の栄光、のどかな春情の火に、静心なく・我が心慌しくも、お花が散る、どうしてだろう。
○ 垂れおかもなあ、誰を・汁ひとにしよう、高きこの山ば待つ女も、昔のように・武樫のように、共に成らないので。
○ あなたのことは、井さも、心も知らないけれど、古・振る、さ門は、おとこ花ぞ、昔の・武樫の、色香に匂ったなあ。
○ 撫でなつく夜は、まだ序の口のままで、明けてしまったなあ、心の雲のどこに、つき人おとこ、おさまっているのだろうか・尽き果てもできず。
○ おとこ白つゆのために、厭き風が心にしきりに吹く飽きのひら野は、貫きとめなかった、白玉ぞ・吾が魂よ、散り果てたなあ。