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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
平安時代の和歌は、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容と全く異なる驚くべき文芸であった。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って「百人一首」の和歌を紐解く。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (三十八) 右近
(三十八) わすらるる身をばおもはずちかひてし 人の命のをしくもあるかな
(忘れられてしまうわが身をば、何とも・思わず、命をかけて・誓った、あの人の命が惜しい思いもあることよ……和合することのできる身をば、思いも・思わず違えてしまった、あの人の命・身をの短い命、愛おしくもあることよ)
言の戯れと言の心
「わすらるる…忘れられてしまった…見捨てられてしまっている…和すられる…和合することができる」「らる…受身の意を表す…可能の意を表す」「身を…我が身を…彼の身を…君の貴身を」「ちかひてし…(神に)誓った…(命かけて)誓った…ちがひてし…(思いと)違った…思いを違えた」「人…あの人…男」「いのち…人の生命…身をの命…ものの寿命」「をし…惜しい…失いたくない…愛着を感じる…愛おしい」「も…強調を表す…添加を表す」「かな…であることよ…感嘆を表す…詠嘆を表す」。
歌の清げな姿は、見限られたか見捨てられた女の、未練なさそうで、有りそうな気色。
心におかしきところは、和合すること、思いを思うこと、ものの長い寿命を乞い願う女の心根。
拾遺抄 恋下(三百五十一)に 題不知、並びに、拾遺集 恋四に題知らずとしてある。花山院、藤原公任、藤原定家が優れた歌と認めたと言っていいだろう。
さて、見捨てた当の男が、この歌を伝え聞けば、怨み歌に憐れみの心まで添えた決別の歌と受け取るか。それとも、惜別の情が見えるので、「また、いまに、返り来む」といえば、撚りが戻るだろうかなどと男は悩ましいだろう。どちらかは、己の胸に聞けと言う歌で、返事さえ期待していない。
右近は、醍醐天皇の御時(898~930)、皇后藤原穏子に仕えた人。男の本性、おとこの性の、酸いも甘いも知りわけた人のようである。