■■■■■
「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
平安時代の和歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観で紐解いている。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (四十四) 中納言朝忠
(四十四) あふことのたえてしなくばなかなかに 人をもみをも恨みざらまし
(他人と・逢うことが、この世に・絶えてしまって無いならば、なまじっか、相手をも、我が身をも、不平不満を感じて恨んだりしないだろうになあ……合うことが、女と男の夜に・がんばってすることなければ、中途半端に、女をも、我が身をも、恨めしく思はないだろうになあ)
言の戯れと言の心
「あふ…逢う…合う…和合」「たえて…絶えて…絶滅して…たへて…耐えて…持ちこたえて…頑張って」「て…つ…完了を表す…(絶えて)しまって…(耐えて)いて」「し…強意を表す」「なかなかに…なまじっか…中途半端に」「人…相手…男…女」「み…身…見」「を…対象を示す…お…おとこ」「うらみ…うらむ…恨む…不満に思う…不平を言う…憎く思う」「ざらまし…ないだろうに…なかったろうに」。
歌の清げな姿は、否応なく他人と逢う世の中、自我はいつも他人に不平不満を感じ、自らをも恨めしく感じている。
心におかしきところは、和合しようと頑張る夜の仲、なおもまたのおんなを、我が身のはかなさも、恨めしい。
逆説や反語的表現の捻りを元に戻せばこのような意味になるだろう。
拾遺和歌集 恋一、「天暦御時歌合に」とある。題は「恋」、判者は左大臣実頼(藤原公任の祖父)。この歌が「勝」となった。
「左右の歌、いとをかし、されど、左の歌は言葉清げなりとて、以って左を勝ちと為す」。歌言葉の表面の意味が清げで有るから勝と為すとは、負け歌の作者に配慮した勝ちの理由で、たぶん、心の深さ、心におかしきところが上だったのだろう。
本歌と思える、在原業平の歌を聞きましょう。古今和歌集春歌上、「渚の院にて桜を見てよめる」
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
(世の中に絶滅して桜がないならば、季節の春を迎える人の心は、のんびりしているだろうになあ……女と男の夜の仲に、咲く・放つ・離る情態がなければ、春の情はのどかな感じだろうになあ)
「世の中…男女の仲…夜の仲」「絶えて…絶滅して」「桜…木の花…男花…咲けばすぐ散る慌しい花…おとこ花…咲くら…放くら…離くら」「ら…状態・情態を表す」「なかりせば…無ければ…汝かりすれば」「な…汝…親しき身の一つの物」「かり…刈り…狩り…猟……あさり…めとり…まぐあい」「春の心…季節の春を迎える人の心…春情…張るものの心」「のどけし…長閑な感じ…ゆったりとして閑静な感じ…あわただしく無い」「まし…事実ではないことを仮に想像する意を表す…不満や願望の意を含むことが多い」。
藤原定家の父俊成は「古来風躰抄」に、次のように述べている。「歌はただ読み上げもし、詠じもしたるに、何となく艶(えん)にも、あはれにも聞ゆる事のあるなるべし」。
「えん…艶…艶っぽい…色っぽい…絶妙の艶…妖艶」「あはれ…感動する…情趣がある…哀れである…愛しく感じる」
そう言われてみれば、朝忠の歌も業平のさくら花の歌も、何か艶っぽく、どこかあわれである。