手のひらに乗っかるオルゴール(星に願いを)のケースに、青いバラとスノーマンをアレンジ。
寝不足ぎみの人へ、ひとあし早いプレゼント。
寝不足は、体力を消耗してしまいます。
気ぜわしくなるシーズン、心も体もあたたくして元気で過ごしてほしいです。
おまけ:私は、そろそろ、インフルエンザ予防接種を受けに行こうと思います。
(予防接種の効果は、接種後2週間から4カ月だそうです。)
紅葉の美しい季節になりました。
平安時代、紅葉の色と言うとオレンジ色・黄色を示したそうです。
私は、赤いカエデの紅葉が秋の色と思っていましたが、
時代々の好みや地域に育つ樹木によっても人々の感じる秋の色は変わってくるようです。
植物のお色直しの美しさを楽しみたいですね。
写真:東京都足立区・西新井大師のイチョウ
おまけ:2017年11月22日(水)・23日(木)「真言宗十八本山お砂ふみ」が開催されるそうです。
真言宗十八本山の本堂前のお砂が、西新井大師に集結し、真言宗の各本山のご本尊様と、
ご縁を結ぶ事が出来るそうです。
私の仕事先が、西新井大師の近くにあり、ちょっと散策コースになっていま~す。
2017年11月12日(日)、神楽坂まち舞台・大江戸めぐり祭り
東京都新宿区神楽坂・花柳界の玄関「見番」で催された体験イベント、「覗いてみようお座敷遊び」。
日本固有のおもてなしの一つ、芸者衆とのお座敷遊びです。。
芸者衆の華やかで指の先まで美しい舞踊とお座敷遊びの1時間。(40名限定、一人2500円)
お座敷遊びでは、芸者衆が観客と一緒に遊んで遊び方を紹介してくれます。
とらとらのお囃子ともに屏風を挟んで虎、槍、お婆さんの物まねじゃんけんポン。
また、金毘羅船の唄に合わせて、向かい合ったふたりで順番に肘掛の上にある小箱をとりあう遊び。
割りばしの中央に糸でおちょこをつるし、おちょこを割りばしまで巻きあげてスピードを競うゲーム。
太鼓・三味線の音が、心地よくリズミカルに場を盛り上げていました。
神楽坂では、4軒の料亭に芸者衆が出入りするそうです。
4軒の内3軒は、一見さんお断り、残る1軒のお店がインターネット予約が出来るそうですよ。
尚、芸妓さんに触ることは、マナー違反だそうです。品格ある大人のお座敷遊びなんですね。
神楽坂の街をあげての大江戸めぐり祭りは、地域ボランティアさん方が、街の至る所に立ち
神楽坂のいい所・文化を紹介しくれています。そして、路上ライブも楽しめるんです^^。
おまけ:
神楽坂の坂の上がりきった毘沙門天の近くにある「北のプレミアムフード館」、
北海道・青森・秋田・岩手のセレクトショップです。
私は、岩手県商工会婦人部長さんとひょんなことから知り合って、このお店を知りました。
(岩手県も東日本大震災で被害を受け、復興に向け商品を並べています。
神楽坂に来た折りには、寄りたいお店です。)
めがね橋の石垣のハート
グラバー園⇔大浦天主堂の石畳に敷かれたハート
稲佐山からの長崎の夜景(世界の3大夜景と呼ばれています。)
私は、夜景の中にハートが隠れているのだと探してしまいましたが、展望台の床にハートが隠れていたそうです。
平和公園(平和祈念像)
長崎は、平和を願うハートの街でした
おまけ:長崎の有名人は、芸能人の福山雅治さんです。
女性グループの観光客が多い理由の一つのようです。
端島は、島の外観が、軍艦に似ていることから通称軍艦島と呼ばれるようになったそうです。
長崎港から南西に約19㎞沖合に位置する「端島」、三菱石炭鉱業(株)の海底炭鉱です。
エネルギーの需要が、石炭から石油に移つり1974年1月に閉山し、同年4月に無人島になりました。
命の階段:中央のススで黒く汚れた階段は、地下600m下の坑道への出入口です。
地下600mまでは、8秒で到着し失神する人もいたそうです。地上に上がるのは10分かかったそうです。
狭く蒸し暑い坑区から、ススだらけになり、地上に上がってきた足跡が黒い階段になって残っていました。
軍艦島は、24時間稼働の労働環境の中で、この国のエネルギー石炭=ブラックダイヤモンドを掘り、
近代化を支えた技術と人々の生活の跡です。
今ある私達の生活は、多くの人達の労働と歴史の上にあると考えさせてくれた場所です。
石炭積み出し場所は、鉄筋コンクリートの住宅・映画館・娯楽施設・病院・学校などに囲まれた
中央に建てられています。
一般サラリーマンの月収が5万円の時代に炭鉱工夫の月収は、20万円だったそうです。
通称軍艦島をどのような形や記憶で後世の人々に伝えていくのかが、
平和な未来に繋がっていく鍵のように思えました。
シーマン商会の「さるく号」で、軍艦島に上陸。乗船人員が40名程度なので、小廻りとスピードが出る船です。
乗り降りがスムーズで、軍艦島の説明も詳しく聞くことが出来ましたよ。
(私が、乗船した日は、波のない穏やかな日でした。)
追伸:軍艦島の建物は、保護補強されている場所とそうでない場所が混在しているため、
海の塩風や波で軍艦島の姿形が変わっていかざるおえないそうです。