旧約聖書は読めば読むほど訳が分からなくなる。 そこでジーザス・クライストの魂に直接迫る部分のみ紹介します。
ジーザス信仰も、有益な部分を拾い上げ有効活用していけばいい、何も旧約聖書の歴史を延々と辿る必要も無いし、奇跡・迷信・非科学・矛盾 を感じさせる部分は飛ばしてしまえばいい。
マタイによる福音書より 抄訳 抜粋
2章3節
あなた方はエホバの道を備えよ! その道路をまっすぐにせよ。
3章4節
人はパンだけによらず、エホバの口から出るすべてのことばによっていきなければならない
悪魔はジーザスを誘惑する
山上の垂訓
人々がわたしのためにあなた方を非難し、迫害し、あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき、あなた方は幸いです。 喜び、かつ喜び踊りなさい。 天においてあなたの報いは大きいからです。人々はあなた方より前の預言者たちをそのようにして迫害したのです。
あなたは 隣人を愛し、敵を憎まなければならない。 と言われたのをあなた方は聞きました。しかし、わたしはあなた方に言いますが、あなた方の敵を愛し続け、あなた方を迫害している者たちのために祈り続けなさい。
怒り、姦淫、離婚、誓い、仕返し、敵を愛することについての助言
女を見続けてこれに情欲を抱く者はみな、すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです。
そこで、もしあなたの右の目があなたをつまずかせているのなら、それをえぐり出して捨て去りなさい。
全身をゲヘナに落ちるよりは、肢体の一つを失うほうがあなたにとって益になるのです。
偽善者達への警戒
6章
自分の義を見せようとしてはいけない
また、祈るとき、あなた方は偽善者たちのようであってはなりません。 彼らは、人に見えるように会堂の中や大通りの角に立って祈ることをこのむのです。 あなた方に真実を言いますが、彼らは自分の報いを全部受けているのです。
断食をしているときには、偽善者たちのように悲しげな顔をするのをやめなさい。 彼らは、断食をしている事が人々に見えるように、自分の顔を醜くするのです。 あなた方に真実を言いますが、彼らは自分の報いを全部受けているのです。
わたしに向って『 主よ、主よ、』というものがみな天の王国に入るのではなく、天におられるわたしの父のご意思を行う者が入るのです。
さて、イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教え方に驚き入っていた。 権威のある人のように教えておられ、彼らの書士たちのようではなかったからである。
弟子たちは迫害される。
ごらんなさい、わたしはあなた方を、おおかみのただ中にいる羊のように遣わすのです。 それゆえ、蛇のように用心深く、しかもはとのように純真なことを示しなさい。 人々に用心していなさい。 人々はあなた方を地方法廷に引き渡し、また自分たちの会堂で鞭打つからです。 いえ、あなた方はわたしのために総督や王たちの前にひきだされるでしょう。
しかし、人々があなた方を引き渡すとき、どのように、または何を話そうかと思い煩ってはなりません。 話すべきことはその時あなた方に与えられるからです。話すのは単にあなた方ではなく、あなた方の父の霊が、あなた方によって話すのです。 さらに、兄弟が兄弟を、父が子供を死に渡し、また子供が親に逆らって立ち上がり、彼らを死に至らせるでしょう。 そしてあなた方は、わたしの名のゆえにすべての人の憎しみの的となるでしょう。 しかし、終りまで耐え忍んだ人が救われるものです。
そして、体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはなりません。むしろ、魂も体もともにゲヘナ(地獄)で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
私は、分裂を生じさせるため、男をその父に、娘をその母に、若妻をそのしゅうとめに敵対させるために来たからです。 実際、人の敵は自分の家の者たちでしょう。わたしに対するより父や母に対して愛情を抱くものはわたしにふさわしくありません。 また、私に対するより息子や娘に対して愛情を抱くものはわたしにふさわしくありません。
わたしが例えを使って彼らに話すのはこのためです。すなわち、彼らは見ていてもむだに見、聞いていてもむだに聞き、その意味を悟ることもないからです。イザヤの予言は彼らに成就しています。
ジーザスはこれらのすべてを例えで群衆に話された。実際、例えを用いないでは話そうとされなかった。それは預言者を通して、「 わたしは例えをもって口を開き、世の基が置かれて以来隠されてきた事柄を言い広める」と語られた事が成就するためであった。
信仰の少ない人よ、なぜ疑いに負けたのですか?
あなた方もまだ理解していないのですか。口の中に入るものはみな腸に進んで行き、下水に排出されることに気付いていないのですか。 しかし、口からでるものは心から出てくるのであり、それが人を汚します。
たとえば、心から、邪悪な推論、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、冒とくが出て来ます。 これらは人を汚すものです。
つまずかせるもののゆえに、世は災いです! もとより、つまずかせるものが来ることはやむを得ませんが、つまずかせるものが来るその経路となる人は災いです! そこで、もしあなたの手か足があなたをつまずかせているのなら、それを切り離して捨て去りなさい。 二つの手または二つの足をつけて永遠の火に投げ込まれるよりは、不具または足の不自由なまま命に入るほうが、あなたにとって良いのです。また、もしあなたの目があなたをつまずかせているなら、それをえぐり出して捨て去りなさい。 二つの目をつけて火の燃えるゲヘナに投げ込まれるよりは、片目で命に入るほうが、あなたにとって良いのです。
だれでも、自分の魂を救おうと思う者はそれを失うからです。しかし、だれでもわたしのために自分の魂を失う者はそれを見出すのです。 というのは、全世界をかち得ても、それによって自分の魂を失うなら、その人にとって何の益になるでしょうか。 また、人は自分の魂と引き換えに何を与えるのでしょうか。
二人か三人がわたしの名において共に集まっているところには、わたしもその中にいるからです。
富んだ人が神の王国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。
また、だれでもあなた方の間で第一でありたいと思う者はあなた方の奴隷でなければなりません。ちょうど人の子(ジーザス・クライスト)が、仕えてもらうためではなく、むしろ仕え、自分の魂を、多くの人と引き換える贖いとして与えるために来たのと同じです。
二人の息子のたとえ
あなた方はどう考えますか。 ある人に二人の子供がいました。彼は一番目の者のところに行って、「子供よ、今日、ぶどう園に行って働きなさい」と言いました。 この者は答えて「行きます、父上」と言いましたが、出かけて行きませんでした。
二番目の者に近付いて、彼は同じことを言いました。この者は答えて「 行きません」と言いました。 後ほど彼は後悔して出かけて行きました。この二人のうち、どちらが父の意志をおこないましたか。彼らは「後の者です。」と言った。 ジーザスは彼らに言われた。「 あなた方に真実をいいますが、収税人や娼婦たちがあなた方より先に神の王国に入りつつあるのです。 ヨハネが義の道をもってあなた方のところに来たのに、あなた方は彼を信じなかったからです。 ところが、収税人や娼婦たちは彼を信じました。 あなた方は、それを見ながら、あとから後悔して彼を信ずるようにはなりませんでした。
二つの最大のおきて
あなたは心をこめ、魂をこめ、思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない。 これが最大で第一のおきてです。 第二もそれと同様であって、こうです。「 あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない。」
書士やパリサイ人に倣ってはならない
それからジーザスは群衆と弟子たちに話して、こう言われた。「 書士とパリサイ人たちはモーセの座に座っています。 それゆえ、彼らがあなた方に告げることはみな行い、また守りなさい。しかし、その行いに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが、実行しないからです。 重い荷をくくって人の肩に載せますが、自分ではそれを指で動かそうともしません。すべてその行う業は人に見せようとしてするのです。
偽善者なる書士とパリサイ人たち、あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。 それは、外面はなるほど美しく見えますが、内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。そのように、あなた方もまた、確かに外面では義にかなった者と人に映りますが、内側は偽善と不法でいっぱいです。
国民は国民に、王国は王国に敵対して立ち上がり、またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。 これらすべては苦しみのの激痛の始まりです。 その時、人々はあなた方を艱難にわたし、あなた方を殺すでしょう。またあなた方は、わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。またその時、多くの者がつまずき、互いに裏切り、互いに憎しみ合うでしょう。そして多くの偽預言者が起こって、多くの者を惑わすでしょう。
また、不法が増すために、大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし、終りまで耐え忍んだ人が救われる者です。
あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。
その後、ジーザスは自分が弟子達に裏切られ、権力側に磔にされる事を予言するが、弟子達は「 絶対にそんな事はしません。」と否定するが・・・
身近な愛弟子達は次々とジーザスを裏切っていく・・・
「 エリ、エリ、ラマ、サバクタニ 」
ああ! 神よ! なぜ我を見捨てたまいしか・・・
コメント
こうして読んでみると、ジーザス・クライストの話はなんて素敵な素晴らしい話だろうと思う。 古今東西の無数の絶望した人々がどれだけ十字架に架けられたジーザス像に励まされ生きる希望・勇気を得、改心してきた事だろう・・・ 人生の道が行き詰った時に、新たに生きる道を示してくださる。
ジーザスの周りに集まった人々は、貧しい庶民たちであり、偽善的な書士やパリサイ人などに無謀な闘いを挑み、磔にされてしまい。「 ああ! 神よ! なぜ我を見捨てたまいしか・・・ 」と言いながら息を引きとった。
だが、ジーザスは自らを犠牲にして、無数の人々の魂にしたのであった!
今まで悪い事をしてきた人、無信仰だった人がジーザス信仰に目覚め、悪い事を一切しなくなった、キリスト教が自分の全てを変えたという話は枚挙に暇がない。 これだけ見ても、ジーザス信仰の力が分かる。
若い頃から、何度かキリスト教、聖書に触れてきたが、翻訳・編纂・紹介の仕方が悪かったせいか、クリスチャン達の印象が良くなかった為か理解できないできたのがとても残念に思える・・・
若い頃は、アレイスター・クロウリーやロックンローラーの影響でむしろアンチ・クライストの傾向があったが、今ではジーザス信仰が無ければ生きていけない状態になってしまった・・・
ジーザス信仰の際には、優れた翻訳・編纂・紹介された聖書や本を探す事、優れたクリスチャンと巡り合う事が大切。
聖書や本の中には、まるで読者を困惑、混乱させ理解される事を拒否したようなニセモノが多すぎる! 文語・古語で字が小さすぎる辞典のようなバイブル。
人物が多すぎて訳が分からなくなる旧約聖書に関する書物。 偽善的なクリスチャン・・・
それらのニセモノの為、ジーザス信仰は支離滅裂、矛盾だらけ、行き当たりばったりで偽善的という悪い印象を与えるが、そうしていると、大切な宝、ジーザスの真の魂を見失ってしまう!
現在欧米人の多くは「 自分はキリスト教とは殆ど関係がない。 」という態度である。
だが、これからの世界はジーザスの真の精神・魂を復興させるしか救いは無いのではないだろうか・・・