今のわての理想とするライフスタイルは半聖半俗である。
俗、現実生活-社会と何とか妥協点を見出だして生活していく。
そして、信仰生活と両立させていく。
クンダリニー-ヨーガなど訓練する必要ない。
クンダリニーなど覚醒したら日本で生活できなくなる。
わては、若い頃からラマナ・マハリシのアートマ・ヴィチャーラという瞑想方式を追及してきたが、最近はラマナ・マハリシの教えやアートマ・ヴィチャーラという瞑想方式は日本の一般生活者向けではないという事をひしひしと実感している。
俗世間を全否定して一挙にニルヴァーナや解放を追及するというのは余りに極端で先走りし過ぎている。
一般の生活者は、仕事やら金銭やら生活や家族などを抱えているのだが、そういった世俗の事柄を否定してニルヴァーナや解放を目指すというのは現実的ではないし危険が大きすぎる。
そこで、日本の一般生活者向けの瞑想システム方式というものを開発する必要があるという事を述べておきます。
ですが、瞑想を志す方々はこのブログを読んで参考にし、自分自身に最も合った瞑想方式を追求し構築するように忠告しておきます。
何しろ万人に向いた瞑想方式というものは無いのです。
他の人の体験談などは参考になるとは思いますが、結局は自分自身に最も合った瞑想方式とは自分自身で探求・構築するしかないのです。
弁護士の交渉術に関する本を読んでいたら面白い文章があった。
簡単にわかりやすく変えて書いておきます。
● 万人に通用するような問題と解答はない。
自分の問題は自分だけにしか分からない。
自分の解答も又自分だけにしか分からないのである。 だから人に頼っていてはならない。
自分だけの問題とその解答を見つけるには自分で考えて考えて考え抜く事である。
これは全く宗教にもあてはまるものだ。
世界の伝統宗教や宗教家・哲学者などの教え・思想も万人に通用する訳ではないのである。
わては若い頃、人生や世界や身体に関する問題と解答を求めていたのだが、大学の授業や教授、書物、病院の医者、両親に頼っていたのでは問題のありかすら分からないという事に薄々気が付いていた。
自分が何を求めているのかすら分からない有様だった。
その後、問題とその解答をヒンドゥー教や道教などの伝統宗教や宗教家の教えに求めてそれ基づいて学習実践していった。
だが、それでもまだ自分だけの問題とその解答では無かったのであった!
世界で60億以上の人間が居て、過去を合わせればもっと居る。
だが世界有史以来で自分自身とはたった一人だけしか居らず、自分の問題もたった一つだけなのである。
であるから、人は自分自身の問題を自分自身で見出し、解答を得なければならない。
その為には途中で命を落としてしまうかもしれない。
何十年かかって老後になって初めて分かるかもしれない。
あるいは一生涯かけても分からないものなのかもしれない。
それでもやはり自分自身の問題と解答は自分自身で見つけねばならないのである。
その為には、無数の書物、人、経験などが必要である。