モラトリアム大学生だったケンジ

2017-12-29 | 【 かみしばい講 】

 
 
    (この小説はフィクションです。)



 バブルの高度成長時代の日本。

 ケンジは文学系の大学生。

 今日は午前と午後に授業がある。     

 午前と午後の間の大学の授業の空き時間。  


 中途半端に3時間開いてしまって時間をつぶさなければならない。    


 東京郊外の青梅や高田馬場あたりを空き時間中に散歩していたら警察に職務質問された事も何度かある。

 学生証を見せて空き時間だから散歩していましたと答えて解放される。


下町の商店街にあるピザ屋に入って時間を潰す。

 ピザの食べ放題を頼む。

 コーラを飲みながらピザをほうばる。

古本屋で買って来た本を読む。

 ただひたすらつまらない。


 モヤモヤする気分を持っていく場所もない。


 音楽を聴く事がつかの間の気晴らし。


 友人達と会話しても話が合わない。

 心が晴れるという事もない。


 他の学生達はテニスだコンパだと浮かれていた。

 恋愛中のカップルは青春を謳歌しているように見えた。


 だがケンジはそういった人達を羨ましく思いながらも、虚無的で冷めた目で眺めていた。


 そんな楽しみはいつまで続くものなのだろう?


 モラトリアムな青春時代とは空しいものだ。

 ハッキリとした目的も確信も持てないまま。

 青春時代を空費しているという虚しさが青年を襲う。


 本来なら青春時代とは学問や真理や科学を研究して充実感にはち切れそうな筈なのに。


 どうせなら受験勉強みたくハッキリとした目的の為に全力集中して勉強したい。


 だがケンジは大学の授業にも大学生活にもバイトにもそういった充実感を全く感じられなかった。



 人生の意義とは何か? 人間この世でどう生きるべきか?  

 そういった疑問ばかりがもたげてきて図書館や本屋に行って本をあさる。   


 でもそういった本を沢山読んでもやはり人生の意義・どう生きるべきかという解答を得ることはできなかった。



 ・・・・・



 そんなモラトリアム大学生だったケンジも今は40代。      

 結婚もまともな就職もしないままフラフラノラリクラリ生きてきた。


 アパートで一人暮らしをしていた時期もあったが今は実家に母親と暮らしている。

 20代、30代は時には学校で勉強、時にはアルバイト、又他の時には夜遊びなどでノラリクラリ過ごして来た。


 今は派遣労働でダラダラ生き続けている・・・   

 青年時代に苦悩していた生きる意義や目的より、生活費の事ばかり考えながらいき続けている自分が居る・・・


 ケンジは今日も未来へのあてもないままチンタラ生き続けている。




      ――――  劇終  ―――― 



 ヤンキー上がりハヤトの場合

2017-12-22 | 【 かみしばい講 】




    (この小説はフィクションです。)



 レストランで中年男性3人が料理を食べながら雑談をしています。

 その中心人物はスキンヘッドで薄い黄色のグラサンをかけています。

 名前をハヤトといいます。


 ハヤトはヤンキー上がりでした。

 中学生の頃、学校の不良グループに入り女遊びや喧嘩をしたりしていました。


 高校に入るとバイクの免許を早速取り、バイクの不良仲間と一緒に女子高生に声をかけていました。

 バイク仲間と近所の女子高に行って女子高生達に声をかけていました。

 女子高生をバイクで送る代わりにガソリン代を払わせたりしていました。


 高校を卒業すると車の免許を取り、安い車を購入し駅前の交差点で奇抜な服装をしたセレブ気取りの姉ちゃんに声をかけました。

 「 お姉さん! お茶してかない?!」



 「 車がダサいから乗らない!」などと言われました。



 ハヤトはいい車を買う為に土建不動産業界に入りました。


 昼には仕事、夜には遊びという日々を繰り返していました。

 お金がなくても遊んでいました。


 お金が貯まると高級車を購入しました。


 そして駅前交差点でセレブ気取りの女性に声をかけました。

 「 お姉さん! お茶してかない?!」

 
 すると今度は「 外車じゃないから乗らない!」と言われました。


 その頃は女性は男性の事をメッシー君、アッシー君などと呼んでいました。

 メッシー君というのは食事を奢ってくれる男性の事。

 アッシー君というのは車で送迎してくれる男性の事でした。


 その内、不良男女の仲間のグループができました。


 その中の女性と結婚しました。


 ところが・・・    ハヤトはその女性が他の男と浮気している現場を目撃してしまったのです。


 ハヤトは久しぶりに激怒して二人ともボコボコに殴りました。


 二人は結局妥協しきれずに離婚をしてしまいました。


 ハヤトはこれにこりてもう結婚はしないと決断しました。

 自分は結婚に向いていないと思ったのです。



 ・・・・・・



 そんなハヤトも今は中年のおっさんになりました。


 かつてのヤンキーも中年の今はただの金にセコイおっさんになっていました。

 スキンヘッドとグラサンと柄の悪そうな話しかたにかつてヤンキーだった頃の面影が残されていました。


 ヤンキーみたいな粋がった話し方と態度では社会では通用しないという事を痛感し始めました。


 食事の間ではのべつ幕なしに金の話ばかりしていました。


 
 不動産の中古物件はおばさんが清掃しただけじゃ売り物にならないだとか葬式は密葬や家族葬にすれば安くなるけど、食事代も馬鹿にならないだとか・・・


 のべつ幕なしにいかに出費を抑え収入を得るかという話ばかりしていましたとさ。




      ――――  劇終  ―――― 










 下町ベテラン職工の科学理論

2017-12-08 | 【 かみしばい講 】


 
    (この小説はフィクションです。)


 下町の零細下請け工場にベテランの職工が居ました。

 その人は高校も出たか出ないかの頃、地元の工場に入りました。


 正規の教育を余り受けておりませんでした。

 ですが金属加工の職場に配属されたまま何十年もその仕事に携わってきました。


 工場には正規の高等教育を受けた人が入社してきました。

 ですがそのベテランの職工は自分の経験則やジンクスで独自の科学理論を編み出して説明しました。


 「 見りゃわかんだろ。  この音聴いてもう大丈夫ってわからないとな。 」


 新入社員は首を傾げました。 「 分かる訳ないじゃん。 」と内心毒づきました。


 ある機械を操作するコツを説明している時も独りよがりの理論を説明していました。

 喫茶店のフレンチ・トーストに例えて説明しておりましたが、正規の教育を受けた新入社員にはサッパリ理解できませんでした。


 正規の教育を受けた新入社員は「 何言ってんの? このおっさん。 」と内心毒づきました。




 ですが新入社員がよく分からずできない事もそのベテラン職工のやり方ならチャントうまくいきました。


 その工場ではチョットした失敗で怒られたり凹んで辞めていってしまう人も沢山いました。


 ベテラン職工ももちろん失敗する時は失敗します。


 ですが、ベテラン職工と辞めてしまう人の違いは、ベテラン職工は失敗・ミスして怒られても原因を突き止め改善していこうという喰らいつく気力があるか、チョットした事で挫けて諦めてしまうかという差にあるようでした。





      ――――  劇終  ―――― 


 

 バブリー世代 智樹 青春の1ページ

2017-12-04 | 【 かみしばい講 】



    (この小説はフィクションです。)


 時代はバブリー世代    超巨大ディスコ、ジュリアナズ・トキオや小室の音楽が街角に流れていた。


  「  誰もが一夜の夢を見ている   教科書は何も教えてくれない  」



 その頃のサラリーマンは今で言うエグザイルスの様な風体・風貌をしていた。  


 OL(オフィス・レディー)達はワンレン・ボディコンというファッションをしていた。


 今の若い人がみたらヤクザや芸能界の人と見間違えるような格好をしていたが、その頃はそれが普通だった。


 喫茶店では精力的なサラリーマンがモーニングセットを頼んで、週刊BIGという雑誌の「 東京に自分の城を持つ 」特集を読んでいた。


 普通の庶民の中高年が証券会社の女性と株価の話を毎日のように電話していた。


 マスゴミでは竹村健一が「 今、投資しない奴は人間じゃない。」、 コマーシャルでは竹村健一が手帳を持ちながら「 私なんてこれだけですよ。これだけ 」などとほざいていました。


 智樹はそういった風潮を見ると、戦前の日本の風潮とそっくりダブって見えました。


 戦争に反対する人は非国民の烙印を押され、大本営発表で連戦連勝と報道されていたのと全くダブって見えたのでした。



 数年後には普通の庶民が500万・1000万・1500万損したという話が巷でゴロゴロ転がるようになった。






 そんな時代風潮の中で智樹は全く自分の精神的居場所が無かった。

 智樹はいわゆるバブルの資本主義社会という風潮にまるでなじめなかった。


 智樹は日本の伝統的価値観を重んじる保守的な青年だった。


 バブリーな会社員とは全くそりが合わず、かといってチャラチャラした若者達とも合わなかった。



 大学の友人達は大学でいい成績いい単位を取って給料のいい会社に就職したい、というような大学生ばかりでまるでそりが合わなかった。


 憧れるような人物像や将来のイメージが全く思い浮かばなかった。


 何を見ても何を聞いても気に食わなかった。

 テレビを見ても愚劣な番組の垂れ流しばかりでスイッチを切った。


 上野公園ではイラン人達がテレフォン・カードを売っていた。


 智樹の耳にはその当時既に日本国家がガラガラと崩壊しはじめる音が聞こえているかのようだった・・・




      ――――  劇終  ―――― 




【 宗教寄席 】 十四  精神世界でも盲信はせぬがよろし!  

2017-12-03 |  【 宗教寄席 】



 わて、ネットでラマナ・マハリシや不二元論やヨーガ瞑想への批判が載せられているを沢山読んだのぢゃ。

 それらを読んでみるとまさにそれらの批判は正しいのぢゃ。


 不二元論やヨーガ瞑想の欠陥を見事に指摘しておるのぢゃ。


 ラマナ・マハリシや不二元論などもあくまでそういった見方や視点もあるという参考にしておいた方がよろし。


 自分で違和感を感じたら、自分の直感を信じた方がよろし。


 自分の幸福像や理想像ってのは自分自身が一番よく分っておるのぢゃ。

 
 それはあらゆる動物に本来備わっておる動物的本能といってもよい。


 宗教団体や教祖なども盲信服従する必要はない。

 自分がおかしいなと感じたらその直感に従った方がよい場合も多いものぢゃ。



【 宗教寄席 】 十三  キリスト教の説く原罪

2017-12-01 |  【 宗教寄席 】



 わてみたいな中年になってくると、キリスト教の説く原罪っていう言葉が身に染みて分かってくる。


 人間が生きている事自体が罪悪。

 人間の存在自体が邪悪。


 全くもってその通りだよね。