(この小説はフィクションです。)
バブルの高度成長時代の日本。
ケンジは文学系の大学生。
今日は午前と午後に授業がある。
午前と午後の間の大学の授業の空き時間。
中途半端に3時間開いてしまって時間をつぶさなければならない。
東京郊外の青梅や高田馬場あたりを空き時間中に散歩していたら警察に職務質問された事も何度かある。
学生証を見せて空き時間だから散歩していましたと答えて解放される。
下町の商店街にあるピザ屋に入って時間を潰す。
ピザの食べ放題を頼む。
コーラを飲みながらピザをほうばる。
古本屋で買って来た本を読む。
ただひたすらつまらない。
モヤモヤする気分を持っていく場所もない。
音楽を聴く事がつかの間の気晴らし。
友人達と会話しても話が合わない。
心が晴れるという事もない。
他の学生達はテニスだコンパだと浮かれていた。
恋愛中のカップルは青春を謳歌しているように見えた。
だがケンジはそういった人達を羨ましく思いながらも、虚無的で冷めた目で眺めていた。
そんな楽しみはいつまで続くものなのだろう?
モラトリアムな青春時代とは空しいものだ。
ハッキリとした目的も確信も持てないまま。
青春時代を空費しているという虚しさが青年を襲う。
本来なら青春時代とは学問や真理や科学を研究して充実感にはち切れそうな筈なのに。
どうせなら受験勉強みたくハッキリとした目的の為に全力集中して勉強したい。
だがケンジは大学の授業にも大学生活にもバイトにもそういった充実感を全く感じられなかった。
人生の意義とは何か? 人間この世でどう生きるべきか?
そういった疑問ばかりがもたげてきて図書館や本屋に行って本をあさる。
でもそういった本を沢山読んでもやはり人生の意義・どう生きるべきかという解答を得ることはできなかった。
・・・・・
そんなモラトリアム大学生だったケンジも今は40代。
結婚もまともな就職もしないままフラフラノラリクラリ生きてきた。
アパートで一人暮らしをしていた時期もあったが今は実家に母親と暮らしている。
20代、30代は時には学校で勉強、時にはアルバイト、又他の時には夜遊びなどでノラリクラリ過ごして来た。
今は派遣労働でダラダラ生き続けている・・・
青年時代に苦悩していた生きる意義や目的より、生活費の事ばかり考えながらいき続けている自分が居る・・・
ケンジは今日も未来へのあてもないままチンタラ生き続けている。
―――― 劇終 ――――