空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

イサク・ディーネセン

2011-01-21 13:42:51 | 映画

 ここ数週間、自宅に帰る途中、寄り道して、立て続けに映画を見た。

 オゾン監督の「しあわせの雨傘」、ロドリゴ・ガルシア監督の「愛する人」、そして、「バベットの晩餐会」。

 どれもいい映画だったが、とくに「バベットの晩餐会」は、20年以上前に見て、テレビでも何回か放映されるたびに見て、ビデオに撮って何度も見る、という具合に、繰り返し見ては、そのたびに、深く考えさせられた映画である。

 今回は、tohoシネマズの「午前10時の映画祭」で、久しぶりに映画館で見られるというので、前から楽しみにしていた。

 記憶に残っているいちばん好きな場面は、晩餐会が終わって、招待客の将軍が、姉娘のマチーヌに愛を告白するところだったが、今回は、最後にバベットが、自分の料理と芸術について語る場面に強く心を打たれた。

 その場面こそ、この作品のテーマであるにもかかわらず、こんな場面があったことを覚えていなかった。さらに、この原作を書いた人は、きっとすごい作家にちがいないと確信して、調べてみると、なんと、アイザック・ディネーセンだった。初めてこの映画を観たとき、原作が彼女であることを知っていたはずなのに、それも忘れてしまっていたのだ。

 原作は、ちくま文庫で出ているので、すぐに買って読んだ。

 翻訳した桝田啓介さんによると、映画「愛と哀しみの果て」の原作者(原題はOut of Africa、日本では「アフリカの日々」)として広く知られるようになったときに、イサク・ディーネセンとすべきところを、アイザック・ディネーセンという誤った表記が広まってしまったそうだ。

 初めてディーネセンという女性の存在をを知ったのは、フェニミズムに共感して、その関係の本を乱読していたその昔、圧倒的な男性社会で、それぞれの生き方を模索した何人かの女性の生涯を紹介した本を読んだとき。

 本名は、カレン・ブリクセン。女性関係の絶えない夫に性病まで感染させられ、一生苦しめられたこと。アフリカに渡って農場経営をし、失敗してデンマークに帰国、中年になってから男性名で作家活動をしたこと。知的で美しい写真も載っていて、とても興味を持ったことを覚えている。

 今回、原作を読んで、映画と表現の仕方が違うところもあり、デンマーク語で読めたらいいのにと思った。

 内容が、宗教、愛、芸術についての物語であり、ヨーロッパの文化や歴史、地理についての知識や見識があれば、文章の向こう側に、もっと豊かな風景も見えてくるのではないかと思った。ディーネセンの文学は、そんな文学である。