昨日から書き始めた「幻のブルドーザー戦車」ですが、書く事が多くてとりとめの無い文章になってしまいました。
なので、今日はブルドーザー戦車を作る事になった経緯を詳しく書きたいと思います。
このブルドーザー戦車(通称チハドーザー)ですが、実際に日本国内で戦後に活躍した物です。
これは私が作ったチハドーザーの低座型、
こちらがチハドーザー高座型、
このような形状の戦車を改造したブルドーザーがこちら山陰地方最高峰の大山の麓、香取地区に来て松林を開墾して酪農地にしました。
スケールは1/35です。
元になったキットは「ファインモールド」の97式中戦車です。
このジオラマを作る事になったのは、今から12年前、「米子ガイナックス」の取締役の「赤井孝美氏」から製作依頼が有ったからです。
こちら山陰では戦車のジオラマを作るとなると、島根県のプラモ同好会である「轍の会」というグループがあるのですが、本来ならそちらに製作依頼が有っておかしく無いのですが、私が「米子」に住んでいたのと、以前赤井氏がデザインしたキャラクターのフィギュアを作っていた事も有り、これも何かの縁?という事で、私の所に製作依頼が来た様です。
そもそも、なぜこのようなマイナーなジオラマを製作するのか?
それは、四国の香川県で開催されている「さぬき映画祭」に米子ガイナックスが参加する際、交流の証として何かイベントを持って行きたいと考え、鳥取と香川の密接な関係にある香取の地を開拓したブルドーザー戦車のジオラマを展示したいという事だった様です。
香川県と鳥取県は昨日アップした記事の通り、戦後の大陸から鳥取まで帰って来た香川県の兵士達が帰る地を無くし困っている所、大山の麓のジャングルの様な地を開墾したらそこに住んで良いと言う事で、うっそうとした松林を香川の方々が開墾したそうです。
ただ、あまりにジャングル状態だったので、人間の力だけではとうてい進まないという事で、東京の「協同建設」に依頼して、ジャングルを開墾してほしいという事で、97式戦車を改造したブルドーザー戦車(チハドーザー)がこの鳥取の地に来ました。
これは鳥取の地では有りませんが、ここに写っている方々と、このチハドーザーが大山の地に来ました。
このブルドーザーのおかげで開墾が進み、酪農にかかせない土地が出来上がったそうです。
ただ、簡単な開墾作業ではなかったようで、日々トラブルの連続だった様です。
上の写真で一番高い位置の帽子をかぶっておられる方が「丹羽次郎さん」です。
12年前の写真が、
右が「丹羽次郎さん」左が米子ガイナックスの「赤井孝美さん」です。
ブルドーザー戦車のジオラマを製作するに当って、実際に運転やメンテナンスをしている方がまだご存命と聞いて、それなら是非会って話を聞こう!という事になり、静岡まで米子ガイナックスの3人と行きました。
この丹羽さんと連絡を取って頂いたのが、運送業をされている「株式会社カマド」の「小林社長さん」でした。
こちらに小林さんのブログが有ります.
小林さんは、戦車博物館を作りたいと日々働いておられますが、新聞でその記事を掲載されたとき、たまたま丹羽さんがその記事を見て、小林社長さんと交流が出来たそうです。
その小林さんと知り合だったのが「日本陸軍の戦車」という本を編集されていた「小泉聡さん」で、この「小泉さん」とガイナックスの「赤井さん」が知り合いだったという経緯です。
この丹羽さんは戦時中、三菱重工のエンジニアで、97式戦車等の整備や組み立て作業等していたそうです。
なので、97式戦車のエンジンは暗闇の中で手探りだけで組み立て出来ると言われてました。
上のブルドーザー戦車の上に立っている時は26歳だったと聞きました。
戦争の真っ最中でも超高級品のライカのカメラを持っておられたそうで、今、ネットで出回っているチハドーザーの写真のほとんどが、この丹羽さんの写真の様です。
ブルドーザー戦車の製作に当って、沢山の写真を頂きました。
ただ、分からない事だらけで、かなり想像で作った部分が有ります。
大勢で丹羽さん宅に押し掛けたにも関わらず、にこやかに対応して頂き大変恐縮しました。
丹羽さんの話がとても面白く、途中お茶をひっくり返すハプニングも有りましたが、大変有意義なお話を聞く事が出来、模型の製作に大変参考資料となりました。
この時参考になるかと即席で作ったチハドーザーです。
写真を参考にボール紙とスチレンボードで簡単に形を作った物です。
これを見て頂き、あれこれと指示して頂きました。
そして、実際に香取村に来てブルドーザー戦車の操縦、メンテナンスをしながら「赤松林」を開墾した時の話を何時間も聞かせて頂きました。
やはりスゴい人なのだと感心しました。
香取村の開拓の話はまだまだ続きます。