自称米子のプロモデラー

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幻のブルドーザー戦車 その四

2024-01-20 14:26:25 | 模型

今日は朝から冷たい雨が降っています。

ここ山陰の最高峰大山もすっぽり綿帽子をかぶっています。

もしかしたら雪がふっているのかも知れません。

連日書いている「幻のブルドーザー戦車」の舞台の香取村も今日はとても寒いと思います。

このブルドーザー戦車ですが、旧日本陸軍の97式中戦車を改造してブルドーザーブレードを取り付けた、本当の意味での付け焼き刃的なブルドーザーです。

ネットで探すと、この写真が出てくると思います。

これは、いつどこで撮影された物か分かりません。

大山に来られた「丹羽次郎さん」の写真では無いと思いますが、非常に鮮明で分かりやすい写真です。

ただ、ブレードを持ち上げるワイヤーの滑車が改造されている様です。

ワイヤーの数が多い様です。

元々は、

このような戦車の砲塔にワイヤーを繋ぎ、砲塔を回転させる事によってブレードを上下動させていた様です。

滑車の形が微妙に違います。

恐らく北海道の「中山組」が使用していた物ではないかと思います。

このように、現場で使いやすい様に自分たちで改造して使っていたようで、香取村で使用していた物も丹羽さんたちが日々苦労しながらメンテナンスし、改造もしていたと思います。

ただ、いくら整備してもバッテリーの上がりやエンストは四六時中起きた様です。

とにかく、バッテリーの不良はどうしようもなかったようで、丹羽さんたちは、バッテリーに頼らないある方法でエンジンをかけていたそうです。

昔の人なら分かると思いますが、車のバッテリーがダメになった時、車のギヤをニュートラルにして、後から誰かに押してもらい、ある程度加速した所でエンジンのギヤを繋ぎ、強制的にエンジンのピストンを動かし、その時にチョーク等操作しながらガソリンに点火するという方法ですが、今の車はオートマチックだからこの方法は使えないか?

それに今の若い人たちは「押しがけ」という言葉すら知らないと思います。

丹羽さんたちは、一日の作業が終わる時、ブルドーザー戦車を小高い丘の上に停車させてエンジンを切るのですが、翌日、再びエンジンをかける時、エンジンの吸気口にたいまつで火を吸い込ませ、エンジンを温めてから、戦車本体を坂道からニュートラルで走らせて、ある程度加速した所で吸気口に火の付いた紙を放り込み、エンジンのギヤを繋ぎギヤを強制的に回して強引にエンジンをかけていたそうです。

本当にそんな事ができるのか?と思うのですが、実際にそんな事をしていたそうです。

軍隊だったら、上官からぶっ飛ばされるだろうと丹羽さんは言ってました。

それに、ガソリンもディーゼルオイルを使用しなくてはならないのに、混じりけの無いディーゼルオイルが手に入らなかったようで、混合油の様な物だったそうです。

それを入れてエンジンを回すと、蒸気機関車の様な黒い不完全燃焼の煙がモクモクと排気管から出たそうです。

それに、排気管から火の粉が飛ぶので、走っている後から竹ほうきで火の粉をはらいながら走っていたそうです。

それによってかどうか分かりませんが、戦車内部も外部もかなり汚れていた様です。

食料の買い付けもこのブルドーザーで行き来していたそうで、キャベツや大根を戦車に積んで帰り、鍋等に入れて煮込むと、エンジンオイルの匂いがしてまずかったそうです。

丹羽さんたちに取って、このブルドーザー戦車は仕事の道具でもあり、生活の足でもあった様です。

丹羽さんたちが住んでいた小屋も、この戦車で資材を運んで立てた物の様です。

この写真は香取では有りませんが、この二台の戦車が来ていました。

右下の方が若き頃の丹羽さんです。

この写真はこのメンバーの一人が退職されるときの記念写真の様です。

香取では無い様です。

このように、ライカのカメラで撮影した鮮明な写真がたくさん有りました。

見ているだけでワクワクして来ます。

それに、昔の方は皆イケメンですね。

まるで映画俳優の様です。

皆、カッコいいです。

大山の香取村で、この名も無きヒーローたちが一生懸命働いてくれたという事を忘れないでほしいと思います。

続く!